【中村義昭さん(91歳)】
「これが満州行った時の写真だろ。俺がこれ、これが遠い弟と妹、これがばーちゃん、これがおふくろ」

中村さんは1938年、7歳の時に現在の柏崎市=旧高柳町から一家6人で入植。満州では家族でジャガイモやトウモロコシの栽培など農業に従事にしていました。現地で終戦を迎えましたが、家族の中で中村さんだけがすぐに帰国することはできませんでした。
【中村義昭さん(91歳)】
「向こうの政府が若いものは残すと、その条件で南下(帰国)することができることになった。いや応なしだものね。嫌だと言えば帰されなかったから」
終戦後、中国共産党は日本人の引き揚げ条件に「35歳以下は残留し、中国建設に協力する」としました。
当時15歳だった中村さんは、家族と引き離され、中国の炭鉱で働かされることに…

「(家族と)一緒に南に行く列車に乗ったわけ。で、(自分だけ)別な車両に乗って、途中で切り離されたわけ。そういうことになったので仕方がないと思っていた」