後編
「シュモーさんには足向けて寝られん!」
シュモー住宅は老朽化し、1977年、長崎市営シュモーアパートとして建て替えられた。

アパートの壁には、住人たちのたっての願いで、シュモーさんへの感謝の思いを刻んだプレートが設置されている。

シュモー住宅時代からの住人・馬場充夫さんは、胎内被爆者だ。

妊娠中だった母が入市被爆。長崎市茂里町の三菱製鋼で働いていた父は、被爆から3週間後に亡くなった。


長崎のシュモー住宅の住人・馬場 充夫 さん(78):「男か女かもわからんしね、私のこと。顔ぐらい見て死にたかったろうね、とは思うけどね」

1951年、馬場さん一家は、完成したシュモー住宅に入居。母、祖母、3人の兄と、6人で暮らした。台所に水道があり、それまで苦労していた水汲みの必要もなくなった。

馬場 充夫 さん(78):「そりゃあ、飯の次はそれ(住まい)だからね。親たちはやっぱり、シュモーさんが来るとなれば、お菓子買ってきたり。足向けて寝られんっていう気持ちじゃなかったかな」














