終戦は石垣さんが小学1年生の時。当時住んでいた大阪から家族と一緒に疎開していた現・富山県南砺市で迎えました。石垣さんは戦争のことを忘れたことはないと話します。

来年に控える終戦80年に向けて石川県青年団協議会では、県内の戦争体験者の声を映像にまとめています。当時の経験を語るのは石垣千恵子さん86歳。
県青年団協議会 豊平慶彦さん
「普段から飛行機だったりアメリカ軍の飛行機は飛んでたんですか?」
戦争体験者 石垣千恵子さん
「B29が来るのは夜中なので、必ず夜中に起こされた。この日は眠くて眠くて、『どうしても避難しない』と言って駄々こねていた。避難してなかったら私も飼っていた猫と一緒に空襲でそのまま死んでいた」
石垣さんから語られたのは、1945年3月13日から終戦前日の8月14日まで8回にわたり大阪を襲いおよそ1万5000人もの人が犠牲となった大阪大空襲です。石垣さんは7歳の時、祖父母と3人で暮らしていた大阪市港区市岡で空襲にあいました。

戦争体験者 石垣千恵子さん
「翌朝になったら音沙汰ないし、出てみようと防空壕を出たら快晴のいいお天気でした。自分が住んでいるところに行ったらもう焼け野原で、どこがどこの家か分からなくなっていた。本当に焼け野原。斜め向かいの家に焼夷弾が1つ引っ掛かっていた。あれは不発弾だったのかな」
そして、疎開先の富山で迎えた太平洋戦争の終結。石垣さんは『これで夜中に空襲で起きなくてよくなった…』と安堵したと当時の思い出を語りました。














