■国民一人一人に対し「喪に服することや政治的評価を求めるものではない」

ホランキャスター:
もう一つ、お金とは違う話ですが、国葬を行うということで、安倍元総理のことを悼んでいらっしゃる方が既にたくさんいらっしゃると思うんですが、松野官房長官は次のように説明しました。

松野官房長官
「国民一人一人に対して喪に服することや政治的評価を求めるものではないことをしっかりと説明してまいりたい」

今回の国葬は、政治的側面はないということです。ですので、地方公共団体や教育委員会などに対し弔意表明の協力などの要望を行う予定はないとしています。


では、国葬について、皆さんどう思っているんでしょうか?
8月6日・7日に行われた世論調査なので、少し皆さんの中で意見が変わっている部分もあるかもしれませんが、このときの意見をグラフで見ていくと、
▼反対は45%▼賛成は42%
(全国18歳以上 2452人対象 RDD方式『固定・携帯』有効回答1162人 47.4%)
この割合だけ見ると、同じくらいでして、やや反対が上回っているということになっています。

井上キャスター:
どんなに説明を尽くしても、世論が割れるもので、国葬とはそういうものなんだというのもわかる気はするんですが、国民栄誉賞もそうですけど、基準ってないじゃないですか。でも、国葬に関してはある程度の基準作りやルール作りの議論をしないと、これはちょっと納得できないんじゃないかなと個人的に思います。

歴史・時代小説家 今村翔吾さん:
確かに安倍政権は最長の政権であったので、これが一つの軸、ルールだったというならば、今後も超えていった人はどうであれ国葬にしていくという、これがわかりやすいんですよね。ただ、今回こういう事件があったから国葬になったんじゃないかって思ってる方もたぶん多くおられるので、今この時に、一つの定義というかルールを決めていくのはもう今しかないんじゃないかなというのは本当に思います。

井上キャスター:
今村さんは歴史をずっと勉強されていますけど、その時々の国のリーダーをどう悼むのか、葬儀をどう考えるのかというのは時代とともにちょっと価値観が変わってきてると思うんですけどいかがですか。

歴史・時代小説家 今村翔吾さん:
違うと思いますよ。近いところで言うと、明治時代だと思うんですけど、明治時代とかは国葬に値するものっていっぱいあったんですけれど、ただそれが現代において、過去振り返ったときに、その人物がいまなお評価されてるかというとまた別の問題もあるので、ある程度やっぱり普遍的な定義みたいなものが僕は必要なのかなと思います。