「東京からポンと持ってきた」でなく「根を張る」ために

ーなぜ藤枝市と連携協定を結んだのか。
藤枝市にミュージシャンやアーティストが訪れ、地域振興につなげたい思いがあった。スタジオに利用者を集めることだけが目的ではない。地域から参加者を募って共に運営していくような、新しいかたちのスタジオをつくっていきたい。

18歳まで、藤枝市の隣の島田市で生まれ育った。学生時代によく遊びに来ていた藤枝市の蓮華寺池公園には、スターバックスコーヒーなどができて賑わっている。一方、両市とも商店街は衰退している。僕たちの世代が考えなければいけない問題だ。

スタジオに改修する土蔵の周辺は、かつて東海道の宿場町として栄えていた。江戸時代には、芸者が芸を披露する代わりに宿に泊めてもらった歴史があると聞く。このような歴史を現代に受け継いで、藤枝市がミュージシャンだけでなく、作家や詩人といったアーティストたちを支援する拠点になる。そして、そのような取り組みが日本中に広がってほしい。

なにぶん、私も地元を離れてかなり長い。「音楽スタジオが突然地域に現れる」となった時に、藤枝市の皆さんが協力してくれることは本当にありがたい。スタジオは迷惑施設のように扱われることもある。うるさいと感じる人もいる。音楽が必ずしもすべての人にとって心地いいものではない。

ミュージシャンが東京から、スタジオだけをポンと持ってきた」
そんな印象を与える施設になりたくないという気持ちもある。地域の中に音楽というものがもう少し根を張っていくイメージを持っている。地域と連携しながら、豊かなコミュニティの中で、豊かな音楽を生み出すことにチャレンジしてみたいという意欲も湧き上がってきて、今回の協定の締結にたどり着いた。

ースタジオの周辺がどのように変化していくことが理想か。
徳島県を訪れたら、海外からの観光客がたくさん歩いていて、 ゲストハウスは満室だった。目的は「お遍路さん」。スタジオ周辺の旧東海道にも多くの人が訪れ、歩くようになればいいなと考えている。また、国内外のツアーバンドは週末に東京で公演を行い、翌週末に名古屋で公演を控えている場合に、平日をどう過ごすかという問題を抱えている。東京と名古屋の中間にある藤枝市は、彼らが音楽制作やリハーサルの場として立ち寄るのにちょうど良い立地だと思う。