27歳で訪れた大きな転機 若い世代に恩返しも

——本作に「27歳で残せる自分が生きた証」というキーワードが出てきます。ご自身が27歳の時、そのような焦燥感のようなものはありましたか?

自分の小さい頃からの夢がずっとデザイナーになることで、美術をやってみたいと思う中で僕が目指したのが、「東映京都撮影所」(東映の映画スタジオ)でした。

僕は関西外国語大学出身で、美大を出ていたわけではないので、採用枠のようなものはなくて、無理やりアルバイトから入って、ずっと下積みでした。ただ、自分の中では「28歳でデザイナーになる」という目標を立てて、それが果たせなかったらもう向いてないし辞めようともプレッシャーを与えていて。

そんな中で当時の上司だった部長から27歳ぐらいになった時に「1本やってみろ」と言ってもらいました。僕は美大出身ではないので、やはりそういう学歴のある人たちの方がどんどん先に行ってしまって、そこを何とかもがいて、プレッシャーも抱えつつ、覚悟みたいなものは持っていて。それで1つの作品を上司が与えてくれて、デザイナーとして良かったか、立派な作品が撮れたかというのは一旦置いておいたとしても、撮影所のいろんな方が助けてくれて、作品を乗り越えられて、プレッシャーを跳ねのけて達成できたという思いはありました。

そこに至るまで、我慢したり努力したり、今でももがきながらですが、今度は自分がそういう若い人たちに恩返しをしていきたいと、美術会社を立ち上げて頑張っています。