「いつまでも寝たきりだった」重度の脳性小児麻痺だった長男・健吾さん

(竹内昌彦さん 講演より)
「私、教師になりましたよ。幸せな結婚もしましたよ。でもそこに人生で一番悲しいことが待ってた。それは、最初に生まれた男の子が、重い、重い脳性小児麻痺という病気だったということですよ」

「いつまでたっても寝たきりでした。いつまでたっても言葉一つでなかった」

病気が分かったのは、生後8ヶ月のことでした。首が座らず、寝返りも打たない。病院で「重度の脳性小児麻痺」であることが告げられます。

6歳になり、保育園から障害児施設へ。会えるのは週末だけでした。息子の病気が回復することだけを竹内さんは必死で祈りました。

「あいつのために命を捨ててもいい...親になれたと思った」

竹内さんは、その時のことを、振り絞るように一つ一つ言葉を選びながら振り返ります。

(竹内昌彦さん)
「親になったなと思ったんですよ、本当の。つまり・・・」

「僕の目を治すために、親は目をくれると言った。だから・・・」

「あいつの体を治すために、命を捨ててもいいと、真剣に言えたから『親になったな』と思うたですよね」

「その時に、『俺も一人前の親になれた』という手応えはあったんですよ」

長男・健吾さんとの別れ

健吾さんも懸命に行きました。しかし、家族との別れのときは迫っていました。

7歳になる直前に肺炎にかかり、病院に緊急入院。容体は戻ることなく、そのまま息を引き取りました。

家族で過ごしたわずかな時間。6年11ヶ月という短い生涯を閉じました。