もう一つの生き抜く原動力は「母への思い」だった

激しいいじめを受けながらも、負けずに学校へ。そこには、大好きな母親への思いがありました。目のほとんど見えない自分を懸命に育ててくれていた母親に、心配をかけさせたくない一心でした。

(竹内 昌彦さん)
「学校に行かなかったら、親が心配すると思うたんですよ。あれは幼稚園のときのことで、覚えています。倉敷中央病院という大きな病院の先生が、私の目を見て『この子の目はほとんど見えていない。この目は一生治りません』とはっきり言われたんですよ。病院の隅っこまで行ってね」

「あの若い母親、崩れるように座り込んで激しく泣いた。私を膝の上に立ち上げて、『昌彦、昌彦』って名前を呼ぶのがやっとで、涙がいっぱい降ってきた」

「あのとき私は思うたですよ。自分の目のことよりね、大好きな母親が私のことでこんなに悲むものかって。この目が見えなくなったとき、私の前で親がどんなに悲しいんだか。どんなに苦しみ、そして戦ってきたか見てきた」

「だからよう分かった。目が見えなくなったからこそ、気がついたことだから、みんなに話しておきたいんですよ」

「親は、自分の子どもの代わりだったらいつでもどこででも死ねるんだよ。親はそう思うて、みんなを今大きうしよんよ」

「みんなは決して自分一人の命ではないぞ。その身体の中に、お父さんの命とお母さんの命と、もっと言えばおじいちゃん、おばあちゃんの命まで抱えて、今大きくなるんよ。そういうのに、自分だけの勝手な考えで首を吊るか?」

夜が来たら朝も来る 冬が終われば春が来る

「夜が来たら朝は来るだろう。この寒い冬だって、もう2ヶ月もしてごらん。梅が咲いてサクラが咲いて、ヒバリが飛ぶ」

「悪いことは続かん、つらいことは続かん、それを信じて、つらいときを粘るしのぐ。逃げてもええからな。死なずに待てってことよ」