現金をくれてやる

そして問題の1995年の株主総会、「二人の田淵」を取締役に復帰させることが最大の案件となっていた。

「社長の酒巻は自分を社長に推挙してくれた「二人の田淵」に恩義を感じ、経営復帰によって両田淵の名誉回復を図りたいと考えていた。前年の1994年には大蔵省証券局に赴き、両名の取締役復帰を打診していた」(元特捜検事)

しかし、「総会屋」小池が立ちはだかった。前述の通り、それは株主総会の3カ月前、あの地下鉄サリン事件から4日後の1995年3月24日のことだった。

検察側は冒頭陳述でこう指摘している。

「酒巻は、小池本人と同人が率いる闇の勢力が株主総会に乗り込んできて追及すると、念願の両田淵の復帰も実現しなくなる恐れが高いと考え、利益を供与する以外に総会を乗り切る方法はないと決意した」

野村証券から小池に対する損失補てんは、通常は「口座」の「付け替え」で行っていたが、相場の下落が続き、それでは追いつかない状況になっていた。

特捜部の調べによると、酒巻らは悩んだ末、こう決断する。

「小池に現金をくれてやるしかない」

「現金」を直接渡して、損失補てんするしか手段がなかったのだ。苦肉の策だった。

その「現金3億2,000万円」の受け渡しのやりとりは、第7回で述べた通りだ。

結果的に、小池の要求に応じることで、1995年の株主総会は予想に反して混乱なく乗り切り、二人の田淵は、取締役として経営の第一線に無事に「カムバック」したのであった。

つまり、小池に対する「現金3億2,000万円」は、「二人の田淵」の取締役復帰を目的に、株主総会を円滑に乗り切るための協力への見返り、謝礼だったのだ。総会屋への利益供与(商法違反)事件としては、過去最高となる摘発額となった。
第一勧銀、4大証券から小池に流れた資金は、時効が成立していない分だけでも「124億円」に上ったが、現ナマが露骨に動いたのはこのときだけだった。(敬称略)

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
 岩花 光

◼参考文献
村山 治「特捜検察vs金融権力」朝日新聞社、2007年
村山 治「小沢一郎VS特捜検察20年戦争」朝日新聞出版、2012年
立石勝規「東京国税局査察部」岩波新書、1999年
尾島正洋「総会屋とバブル」文藝春秋、2019年
森功「平成経済事件の怪物たち」文藝春秋、2013年
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年