小池隆一の圧力

小池隆一と野村証券の付き合いは1985年に遡る。小池は自ら主宰する「総会屋グループ」の39人の名義で、野村証券株あわせて「39,000株」を購入。

1989年には「小甚ビルディング」の口座開設に先立って、まず「弟」名義で野村証券株を「30万株」取得した。このときは野村だけでなく日興証券、山一証券、大和証券の株も「30万株」ずつ購入、4大証券の大株主となった。「小池が30万株を保有している」ことを聞いた時のことを、酒巻はこう供述している。

「(小池が)闇の中からじっと凝視しているような深くて広い恐怖感」

その購入資金となったのは「第一勧銀」六本木支店からの「31億円」の融資だった。もちろん事実上、無担保融資だった。第一勧銀はその後も小池への融資を拡大し、事件発覚直前の1996年までに「約70億円」が焦げ付いたとされる。
この融資の口利きをしたのが後述する「木島力也」だった。戦後最大の黒幕「児玉誉士夫」の側近とされた大物総会屋だ。木島力也は財界のフィクサーとも言われ、第一勧銀の歴代トップと親交を続けていた。

小池が取得した「30万株」がどれほどの規模かと言えば、当時の有価証券報告書によると酒巻社長が保有していたのはせいぜい「6万9,000株」で、他の取締役でも数万株程度とされる。小池の「30万株」というのは「株主提案権」を持つ圧倒的な大株主であり、取締役解任などを提案する権利もあるため、脅威であった。

結果的に1992年の株主総会は、議事進行も円滑に進んだことから、わずか1時間半弱で平穏に終了したという。小池も会場に姿を見せることはなかった。
東京地検特捜部は株主総会直前にセットされた「野村クラブ」の面会は、明らかに株主総会対策のためだった疑いが強いと判断した。

続く翌年の1993年、小池の実弟名義の「小甚ビルディング」の口座が開設され、株式担当のM常務の管理により「一任勘定取引」での利益提供がはじまったのだ。

しかし、その後は相場の地合いも悪く、損失が出るようになると、小池は総務担当のF常務にも、激しい口調で圧力をかけた。

「相場の中だけでのんびりやっている場合ではないでしょう。いろいろやりようがあるじゃないですか!損失があればお宅でちゃんと埋めてくださいとお願いしてありますが、おわかりでしょう」

特捜部の調べによると、F常務から相談を受けた社長の酒巻は「小池を怒らせると株主総会で何をしてくるかわからないので、M常務と相談してうまく頼む」と指示したという。

総会屋・小池隆一(1997年) 
第一勧銀 六本木支店(当時)