「立派な方が亡くなり、言葉もない」
金融・証券業界に激震を引き起こした総会屋「小池隆一」には実刑判決が言い渡された。多くの企業トップは既に退任するなど失脚し、刑事責任を問われていた。小池は、約1年半の審理では、理論派総会屋の雰囲気を漂わせ、冷静に対応していた。だが、やはり実刑判決を受けた瞬間は、目を大きく開き、動揺したように見えた。
当日、午前10時すぎ、ネイビーのスーツに身を包んだ小池被告は、肩を揺らしながら東京地裁104号法廷に入廷し、岡田雄一裁判長に一礼した。
岡田裁判長に「小池被告ですか」と尋ねられ「はい」と答えた。傍聴席の最前列の記者席には聞こえたが、声にいつもの張りがなく、かなり緊張した様子だった。
「被告人を懲役9か月 追徴金約6億9260万円」
実刑判決が言い渡された瞬間、小池はうなだれた様子だった。その後は着席して両手を前に組み、岡田裁判長が読み上げる判決理由に聞き入った。
東京地裁は判決で小池被告をこう断罪した。
「執拗に、本来ならば到底得られない利益を要求した悪辣な犯行。証券市場の公平性に対する信頼もいちじるしく傷つけた。与党総会屋として議事進行に協力する姿勢を示す一方で、(小池被告が)敵対的な行動に出た場合には、不測の事態が生じかねないと(相手を)危惧させた巧妙な犯行だ」
その一方で、判決は企業側の責任にも言及した。
「株主総会を短時間で平穏に終了したいという、安易な姿勢をあらためることができなかったため、つけこまれた面がある」
小池は顔に手をあて、やや落ち着かないそぶりだったが、最後まで着席していた。そして意外にも、小池はこの日のうちに控訴を放棄し、争うことをやめた。一方、検察側も求刑通りの判決だったことから控訴せず、一審で小池の有罪判決が確定したのであった。
筆者は1997年12月に始まった小池の裁判を傍聴していたが、小池は被告人質問に対し、終始落ち着いた口調だった。質問に対してときどき「そういうところでしょうかね」などと、小池らしい評論家のような口調を交えながら、企業と総会屋の関係について淡々と語っていた。4大証券に送りつけた「株主提案権行使」の通告については、「総会屋と会社の総務担当は持ちつ持たれつ」だと強調した。
「『ごみ箱に捨ててもらっていいよ』と断ったうえで、『企業の担当者は大変だ、大変だと言いながら、自分で小池を抑えたように振る舞えば、上司の覚えがめでたくなる。上を動かそうと踊らせようと自由だよ』と言った。総務担当への援護射撃のつもりだった」(小池の公判記録より)
公判中は冷静に答えていた小池が、言葉を詰まらせる場面があった。大物総会屋・木島力也との深い関係が指摘されていた第一勧銀の宮崎元会長の自殺に触れた時だった。うつむいてこう語った。
「立派な方が亡くなり、言葉もない。どんな罰をもってもわびようがない」
「総会屋を30年もやっている中で、感覚が世間の常識から離れ、まひしていた」
小池の弁護人はリクルート事件で江副浩正・元同社会長の弁護団長を務めた日野久三郎氏だった。長野県出身で司法研修所教官や最高裁刑事規則制定諮問委員などを歴任した大物弁護士だ。
反省の言葉を述べた小池被告に日野弁護士が「もう二度とやりませんね」と尋ねると小池は「当然ですね」と答えた。(敬称略)
(つづく)
TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光
■参考文献
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年
村串栄一「検察秘録」光文社、2002年
七尾 和晃「虚業」七つ森書館、2014年
立石 勝規「東京国税局査察部」岩波書店、1999年
大下英治「経済マフィア―昭和闇の支配者」だいわ文庫、2006年