「総会屋」小池隆一が泣いた日

事件の渦中の1997年6月29日、第一勧銀の宮崎邦次元会長が自殺した。この出来事は、長期にわたって脈々と続いてきた闇の世界の深さを感じさせ、社会を震撼させた。

小池は、東京拘置所で取調中に、第一勧銀の宮崎元会長の自殺を知る。

取り調べをしていた特捜部の検事が伝えた。

「第一勧銀の宮崎が亡くなった。自殺したみたいだ」

小池は宮崎の訃報を聞いた瞬間、東京拘置所中に響くような大声を上げて泣いた。とめどなく涙が流れた。

小池はのちにこう語っていたという。

「検事さんに宮崎さんが亡くなったと聞かされて、急に涙が溢れてきて、もう止まらなかった。あれは一体、何だったのか、私にもわからない。もう生理現象としか言いようがない。(中略)宮崎さんが亡くなったと聞いたら、もう、胃がきりきりきりきり痛くてたまらなくなって、椅子から転げ落ちて、床の上にころがった。それで房に戻されることになって、私に万が一のことがあるんじゃないかということで、しばらく監視がついていた」(「虚業」小池隆一が語る企業の闇と政治の呪縛 七尾和晃)

小池は「宮崎元会長の命を奪ったことで、この稼業がつくづく嫌になった。総会屋、小池隆一は宮崎元会長とともに死にました」と話したという。総会屋という仕事に区切りをつけたのだ。

小池は5月15日に商法違反で逮捕されて以来、特捜部の取り調べに対し、「総会屋の師匠である木島力也に従っただけだ」として、否認を続けていた。

しかし、宮崎の死を聞いた小池は「このまま自分が、否認を貫くことによって、もし宮崎に次ぐ犠牲者が金融機関側から出ることは、耐えられない」と話したという。

特捜部は小池をさらに追及した。

「第一勧銀が無担保で融資をしたということは、銀行側の特別背任が成立する可能性がある。銀行側の特別背任が成立した場合、利益供与だけというわけにはいかなくなる。木島がすべてを計画立案して、木島が企業と交渉したと言っても、木島が死亡している以上、確認できないじゃないか」

すると小池は答えた。

「わかりました。銀行の方たちは何と言ってますか。彼らの調書に沿うかたちで、わたしの調書を整えて、作ってもらっても構いません」

第一勧銀・宮崎元会長の死をきっかけに小池は語り始めたのであった。

小池が勾留されていた東京拘置所(東京・小菅)