帰国し待っていたのは「壮絶ないじめ」だった

(竹内 昌彦さん)
「食べ物もない。薬もないという船の中のことですよ。よく命が助かった。が、そのとき命と引き換えに、40度の熱がこの右の目を完全に壊した」

「左もかなり壊れたが、左はちょっと見えた。ありがたいことに、ちょっと見えたから、普通の小学校に行ったんですよ」

帰ってきた、両親の故郷・岡山。わずかな視力で、岡山市内の小学校に通い始めます。戦後間もない時代。待っていたのは、目の見えない竹内さんに対する、激しいいじめと差別でした。

竹内先生が語る「激しいいじめと差別」とはどういうものだったのか。その逆境をどう跳ね返したのか。

【第3話】「いじめで死ぬくらいなら...大騒ぎして周りに訴えろ」
に続きます。

【第1話】「『自殺するな 辛かったら逃げてもいい 死なずに待て』」

※竹内昌彦さんが理事長を務める、手術さえすれば目が治る子どもたちを支援する「ヒカリカナタ基金」はこちらです。https://www.hikarikanata.com/