その時、住民同士で話していたのは「次のすみか」についてでした。
高崎覚区長「再建する家のカタログ見ながら、平屋のメーカーごとに色んな可愛い家とか、それからお客さんが来る家とかいろんなパターンがあって、カタログ見てワイワイと楽しそうに話してましたね。畑もあるし田んぼもあるしここ以外におるとこないやろって感じでしたね、その時も」
その後、多くの住民が仮設住宅などに移り、今地域に残っているのは6軒、13人ほどです。
この土地を離れたくないと話していた住民たちの気持ちも、家を建てる高額な建設費用や、子どもたちの反対にあうなどして大きく変わっていったといいます。

高崎覚区長「今ここに家を建てたら、それがまた今度解体せんなんような負の遺産になってしまう。子どもたちは金沢に来てアパートに入れとか。自分の家に来いという人はいないみたいですけどね」