マトリョーシカをめくっていった先にあるもの

——今回、愛媛県の愛南町・外泊が、大事な場所となってきますが、どうして、この場所を選ばれたのでしょうか。

『笑うマトリョーシカ』を書くにあたっては、『砂の器』(松本清張著)へのオマージュだという気持ちはありました。作品を書くに当たって、どんな風に謎が提示されていて、その謎をどう剥がしていって、最後にどうなるのか、というように映画版の『砂の器』の構造を解体しました。最後の30分間「宿命」というテーマ曲が流れて一気に真実が明かされていくのですが、その最後の30分間を、愛南町に舞台を描こうと思ったんです。「日本の中でここにしかない景色」と感じさせてくれる場所ってそんなに多くはないのですが、愛南町には、唯一無二の景色が間違いなくあったんです。だから大事な場面を、愛南町で撮影してほしいというのは、映像化に際して、ほぼ唯一の「マストの条件」のようなかたちで伝えさせてもらいました。

——最後の質問になります。本作でマトリョーシカの奥の奥に潜む人間の黒い闇を掘り下げて物語を書き切った、その「創作の種」は何でしたか?

これは原作を読んだ方には、伝わっていると思うのですが、ラストにある「一つのセリフ」に集約していく物語なんですよね。あるキャラクターがずっと「胸の内」に秘めていた思いに収斂していく。マトリョーシカ人形を、めくっていってめくっていって、さらにめくっていった先にあったのは、空洞であるはずがない。一つの「青い思い」だと思って、小説を書きました。執筆の際に、今回はプロットでガチガチに固めなかったのですが、そのゴールの一言だけに向けて、回り道をしながらも、突き進んでいったという感じです。ドラマ版と小説版、伝えたいことは絶対に同じだと信じていますが、そのアプローチの仕方がそれぞれのメディアの特性もあって違っている。どちらも楽しめると思っていますので、ぜひ小説も読んでいただけたら、嬉しいです。