まもなくあの「6月29日」から79年…

1945年(昭和20年)6月29日。
この日のことは「川滝少年のスケッチブック」にも詳細に描かれていました。

【画像⑨】「川滝少年のスケッチブック」講談社 より 岡山空襲後の焼け野原

岡山空襲です。
6月29日午前2時43分、アメリカ軍による大規模な空襲が始まりました。

川瀧さんは、空襲で焼け野原となった岡山市中心部の画に、こう書いています。
「市内の焼跡の惨状は目をおおうばかり。B29-143機が焼夷弾を雨アラレと落した。空襲警報が出なかった”岡山無警報空襲”と言われている」(原文のまま)

空襲警報がなく、寝ているところを襲われたのです。焼夷弾が降り注ぎ、当時の市街地の63%を焼失。少なくとも1737人の死者が出ました。(2000人以上という説も)

川瀧さんは、空襲の後、岡山駅の貨物倉庫に向かいました。そこで目にした地獄絵が忘れられないといいます。

「ヒエーッ みんな黒コゲだ…」
「空襲で亡くなった人が300体も並べられている地獄図に大ショックをうける!」(原文のまま)

【画像⑩】「川滝少年のスケッチブック」講談社より 岡山空襲後、貨物倉庫で見た地獄絵

川瀧さんが目にした地獄絵。
その当時の映像が、岡山映像ライブラリーセンターにありました。

【画像⑪】は、川瀧さんが焼け野原の中に描いたデパート、天満屋。

【画像⑪】焼け野原の中の天満屋

【画像⑫】の画面上の中央にある白っぽい建物は岡山駅です。
川瀧さんは、この岡山駅でこの年の8月、さらに悲惨な歴史を目撃することになりました。

【画像⑫】画面上・中央の建物が岡山駅