アメリカ人の看守に託した絵

スガモプリズンで当時、看守として七郎さんに接していたドナルド・フェイブルさん。七郎さんは、この絵をドナルドさんに託し、家族に送ってくれと頼んだ。
しかし、規則で送ることは出来ず、ドナルドさんはアメリカに持ち帰り、額に入れて大切に保管していた。
ドナルドさんは9年前に亡くなったが、遺族が、横須賀基地内で働く知り合いに絵を返したいと相談。ようやく七郎さんの遺族と連絡が取れ、返還されることになった。
75年ぶりに父の絵が返還

10人の子供がいたドナルドさん。アメリカからドナルドさんの娘、スーザンさんを初め、こどもたちがウェブ上で参加した。
ドナルドさんの娘スーザンさん「75年かかりましたが、私達はこれらの絵をお返しすることができて、大変嬉しく思っています。父は優しく理解ある人でした」
会場には、スーザンさんの知り合いやその友人など、眞武さんの遺族までをつないだ人たちも集まった。

スーザンさんの知人フィリップ・アークランドさん(40)「こどもたちはみんなドナルドさんが絵を返したがっているのを知っていた。でも眞武さんの住所がわからなくなって日本語も出来ず難しかった。」
長女ナナさん「色んな人の善意を感じますね。奇跡的ですよね、このスケッチが戻ってきたっていうことが。いま考えると、つらかったスガモプリズンの生活の中で、その交流がちょっと心温まる救いのように私には思えるんですよね。あのつらい獄中の生活で。」

三男清志さん「この絵は、父が一番辛いときの時代を思い起こさせる。つまり父と母が我々に話さなかったことを教えてくれますね。そういう意味じゃありがたいですよ。きょうのイベントは実によかった。父に言いたいです。『父ちゃん、ドナルドさんと会話ができているかい?息子と娘はおしゃべりができましたよ、お礼もちゃんといいました』と」
戦争の惨禍を知って
後日、眞武七郎さんが写っている法廷写真が見つかった。1948年、初公判の日。身に覚えのない戦犯に問われ、極刑に怯えながら、被告席に座っていた父。
長女ナナさん「なにを考えているんだろう。少し上を見ていますね」

ナナさんは、七郎さんの軍歴も取り寄せてみた。体格を示す欄に書かれた、「筋骨やや薄弱」の文字。
長女ナナさん「これ見ると薄弱ですから、やっぱり幾分、無理して働いていたんだなっていうのが、これを見てわかって。なんかちょっと、せつなくなりましたね」

忘れ去られようとしている戦争の惨禍を、父の体験を通じて心に刻んだ。
長女ナナさん「だんだん、戦争がわからない人ばかり増えてきますよね。だから、戦争始めるのもあんまり抵抗がない人が増えるのかもしれないし。悲惨なことをみんな知らないわけじゃないですか。だから、そういう面では、いまの社会情勢をみてると、すごく心配になりますよね」