地域の小さな出来事がSNSによって大炎上してしまい、地元に暗い影を落とす例がたびたび起きている。しかし逆に、SNSによって地域に多様な豊かさをもたらす可能性もあるはずだ。徳島大学の田口太郎教授による寄稿。
地域の小さな問題がSNSを通じて炎上
ここのところ、地域に関わる「炎上」が度々起こっている。それは「都市vs田舎」や「若者vs高齢者」などわかりやすい対立軸のあるトラブルなどがSNSに投稿され、投稿者の想像を超えて広く拡散、それを更にメディアが取り上げ、論点を強張することで対立が更に鮮明化されていく、という具合である。
それによって地域社会に対して不特定多数から様々なバッシングが始まり、地域は疲弊し、投稿者自身がその勢いに戸惑うことも多い。そして、数か月もすると何事もなかったかのように騒ぎは収まっていく。地域には重たい空気が残り、そこに勝者は居ない。
SNSは便利なツールである。しかし、SNS空間は匿名性に守られた過激な発言が行き交う。当然、無防備に発信される配慮にかけたような投稿は匿名性の社会で曲解され、批判とともに拡散されてしまう。これまでも様々な出来事がありつつも、あまり注目されてこなかった地方の小さな地域。突然のSNSでの炎上は地域に大きな困惑をもたらしている。
ただ、こうした外部の強い反応がすべて正しく、地域や高齢者は悪なのか、とも言いにくいのが昨今のSNSの炎上ではないだろうか。というのも、炎上させる側の論理には一見、その正当性が強くうかがえる。しかし、よく考えてみると「一理」はあるが、すべでの理はない。発信される情報というのは発信者による一面的な情報であることが多い、ということが考慮されずに拡散していることが多い。当然、発信者側は自身の正当性の主張としての発信をする。つまり、発信者の一方的主張である、ということである。
故にその発信をもって事例を理解することが難しいにも関わらず、SNSはこの一方的主張を鵜呑みにしたうえで、他方に対する評価を下し、拡散されていく。もちろん、これまでも同じような理不尽は地域に多くあり、その度に弱者側は泣き寝入りするしかなかった。その点で言えば、弱者側から発信する手段が生まれた、ということは歓迎すべきこと、という面も有るだろう。
とはいえ、構造が単純化されることで周辺の様々な事情は無視され、「田舎はこういうもの」「高齢者はこういうもの」とレッテルが貼られ、一方が悪者として匿名による多数の無責任な投稿によって苦しめられてしまう。