シリーズでお伝えしている被爆77年『進もう核禁への道』
4回目は島原市出身の女優・宮崎香蓮さんがきく被爆体験の後編です。

 前編:「鎮魂の思いから服を着せて描いた」


宮崎香蓮さん(28)が出会った原爆を伝える絵。どれも、被爆後50年以上経って描かれました。


宮崎 香蓮さん(以下 香蓮さん):
「頭の中から離れない風景を思い出しながら描かれたんだろうなっていうのが、すごく伝わってきて」


これらの絵の作者は、10歳の時、爆心地からおよそ600メートルで被爆した築地 重信さん(87)です。


香蓮さん:「描くのは辛かったですか?」
築地さん:
「そうそう。だからね、もう ”鎮魂の思い” というかな、半分は祈りながらね…お祈りしながら描いたもんだ」


幼い時に、父は戦死。再婚した母とも別れ、祖父母と叔母と共に、浦上天主堂のすぐ下に暮らしていました。


おつかいに出た先で被爆した築地さんにケガはありませんでしたが、自宅にいた祖父と、母親代わりだった叔母を亡くしました