シリーズでお伝えしている被爆77年『進もう 核禁への道』
3回目は、島原市出身の女優・宮崎 香蓮さんがきく被爆体験の前編です。
(※ 崎の漢字は、正しくは"立ちさき")
”原爆が変えた人生” そして ”被ばくの様子を描いた絵に込めた思い” ──
宮崎さんが感じたこととは

島原市出身の女優 宮崎 香蓮さんです。
早田 アナウンサー:
「被爆者のお話って聞いたことありますか?」

宮崎 香蓮さん(以下:香蓮さん):
「あります。小学生の時に社会科見学で、長崎の方に平和学習に来た時に、お話を伺ったことがあります。また、大人になってからも、こうやってお仕事でお話をきく機会はありました。皆さん(命を)削りながらお話をして下さるので、毎回、貴重な時間だなと思いながら、お話を伺っています」

訪ねたのは、浦上キリシタン資料館です。

香蓮さん:「こんにちはー」
(館内の壁には、原爆で壊滅した浦上天主堂や原子野を描いた作品などが展示されている)


長崎原爆の絵。その数、54点。
香蓮さん:「すごい…」

絵を描いた築地 重信さん(87)です。
10歳の時、爆心地からおよそ600メートルで被爆しました。

香蓮さん:
「実際にこれは築地さんが見た風景を描かれたんですか?」
築地さん:
「そうです」

これらの絵は、全て被爆後50年以上経ってから描かれたものでした。
築地さんの人生を変えた被爆体験とは…。