“無慈悲の鬼”が…「先生、変わりましたね」

「一生懸命、一生懸命やろう。こんなに多くの人が応援してくれている。全員で戦おう」。2022年7月29日、静岡大会決勝前の円陣。身振り手振りを交えて、選手たちを鼓舞する永田監督の姿があった。「本当におとなしい子たちばかり。非常にそこが苦労した」。
霊峰富士を望む静岡県三島市にある日大三島高校は、全校生徒1800人を超えるマンモス校。永田監督が就任するまでは、選手の多くが地元・静岡出身。比較的おっとりした性格の人が多いとされる土地柄だ。
ここ数年、関東出身の選手が入学するようになったものの、監督の出身、“血気盛んな”関西と比べると、物足りなく感じていたのだろう。
永田監督は報徳学園時代、練習から一切の妥協を許さない指導を貫いてきた。自らを「無慈悲な鬼」と呼ぶほどだ。しかし、静岡に来てからその指導法を変えたという。「練習量は報徳と比べたら減っていると思う。向こうでは鬼になっていた。でも、ここではそれをすると皆辞めてしまう」
そこで大切にしたのがコミュニケーション。グラウンドで、選手相手に冗談を言うようになったという。ある時、報徳時代の教え子は驚きながら、こう言った。「先生変わりましたね。笑顔がある」。
一方、三島でもぶれなかったことがある。全員野球だ。多くの部員を抱える強豪校ではレギュラー組と控えの練習メニューが別になることがよくあるが、永田監督は違った。全員であいさつし、ランニング、ノック…部員78人全員で行ってきた。これがチームを結束させ、競争を生み、「最後まで絶対にあきらめない」永田野球を醸成させる礎となってきた。