海底の岩盤は露出し 海岸線の鳥居は消える

地震前の輪島市・名舟町(2023年11月撮影)

こちらは地震の前、去年11月ごろの名舟町の映像。海岸線の鳥居が象徴的な、人口180人ほどの小さな港町です。

地震後の輪島市名舟町(2024年2月撮影)

しかし地震後は海の底の岩盤が露わとなり、海岸線は沖のほうへ後退。跡形もなく崩れた鳥居は、揺れの大きさを物語っていました。

太鼓を保管していた集会所も天井が外れ、物やガラスが散乱。雨漏りなどで太鼓が傷み使えなくなる恐れもあり、場所を移す必要がありました。

「当時の水戸黄門の台本が出てきた。撮影で御陣乗太鼓が出てたそうです」「…必殺仕事人ですよ」「局が違うんないか?」

大きな被害を受けながら、太鼓や面が無事だったことで作業の合間には時折笑顔も見えます。名舟町を含む南志見地区の住民は発災から2週間でほぼ全員が金沢方面へ避難し一旦、町は封鎖。全ての太鼓を安全な場所に運び出すことができたのは、地震から1か月を過ぎた頃でした。

太鼓はすべて名舟町から白山市へ搬出

御陣乗太鼓保存会 槌谷博之さん
「全然状態は良く、傷一つないので。うれしいですし…こうやって太鼓を見るとすぐバチ持って叩きたくなります」

保存会は白山市の浅野太鼓楽器店に場所を借りる形で練習を再開。
「できればまた名舟戻ってみんなと一緒に太鼓できれば一番いいのかな。昔通りにはならないと思うけど…」
今後の生活への不安などメンバーは様々な事情を抱え複雑な胸中のまま週に一度の練習に励みます。