《優しく しかも しっかりつかむ》この相反する機能が、医療用ピンセットには求められてきた。そこで参考にされたのは『サメ』だった。

優れた安全性と確かなグリップ力をもつ革新的な医療用ピンセット「サメ肌鑷子(せっし)」。医療現場で、その実用性が高く評価されている。この革新的な医療器具は『医療技術を高めたい』という医師の思いと企業の技術力との結晶である。

企業の思いや開発秘話を深掘りする企画『DIG Business』。今回は、医療用 “究極のピンセット” 開発ストーリーである。

“驚異のグリップ能力”に医療界で大きな期待

つまむ。小さいものでも確実、安全に──

間違いなくやろうとすると意外と難しい作業を確実にこなす『究極のピンセット』が長崎県で作られた。取り組んだのは、外科医でもある長崎大学の永安武学長である。

永安学長
「我々が外科手術で相手にするのは人の臓器ですね。臓器を『愛護的に、しかし しっかりつかむ』という“非常に相反すること”をやらないといけないんですね。『傷つけてはいけないけれど、しっかりつかまないといけない』という部分ですね。そんないい鑷子(せっし=ピンセット)がないかというのは、永遠のテーマだった」

外科手術では、わずかな操作ミスが術後の合併症や死亡につながる大出血を引き起こすおそれがある。微細な組織を安定してつかみ、保持し、その上で組織へのダメージが少ないピンセットは、手術の安全性を確保する上で極めて重要である。

『究極のピンセット』の開発は、永安学長が医療現場の最前線にいた2013年に始まった。

先端に『サメ肌』を再現。しかし加工には大きな壁が──

ポイントは先端に施す加工である。臓器を安全・確実につかめる模様とは──
永安さんが目を付けたのは“サメ肌”だった。

永安学長
「私と一緒に、長年“医工連携”をしてくれている工学部の山本郁夫副学長から『サメ肌構造って何か医療の機器に使えませんか』と言われた。ちょうど私も鑷子のことを考えてたので『先端にいいんじゃないですかね』ということで」

サメ肌は古くから『わさびおろし』にも使われ、表面は固くザラザラしている。循鱗(じゅんりん)と呼ばれ、V字型の溝を持つ《鋭く細かい鱗(うろこ)》が尾ビレ方向に整然と並んでおり、この構造によって一方向では流体抵抗が減少し、逆方向では高い摩擦力を生み出している。

長崎大学では医・工学が連携し『サメ肌鑷子』という名前を付け開発をスタート。最適な機能を持つ形状は決まったが、問題は《サメ肌の形状》を金属の先端に加工することだった。従来の機械加工では、技術面やコスト面で困難なことが分かったのである。

立ちふさがった壁──しかしその問題を解決できる技術が長崎県内にあった。

5ミクロン単位で溝を刻む

長崎大学の開発チームから依頼をうけたのは2022年に長崎県平戸市に事業所を新設したばかりの会社だった。

KTX野田太一社長
「いやサメ肌…?ってあんまり聞いたことなかったので、ザラザラとしたイメージなのかあ。なんだろう?っていう…海のサメですからね。ちょっと想像がつかなかったですね」

KTXは愛知県に本社を置く自動車内装部品の金型製造会社だ。世界有数のナノレベルの成型技術をもつという。平戸市の事業所では高性能の『レーザー金属加工装置』を導入していた。この日本に1台しかないとされる機械が壁を一気に打ち破った。

野田社長
「非常に細かい柄なので、それをどんなふうに彫っていくのか。あるいは、どっちの方向に掘っていくのかとか、全て手探りでしたので、いろいろな方法で解析してやらせていただきました」

完成品の先端部分に刻まれた溝は5ミクロン=1,000分の5ミリ単位で刻まれた。

さらにピンセットの先端部分だけでなく、指でつかむ部分にもサメ肌加工が施され、こちらは“滑り止め”として機能している。

救急現場で 特に高い評価を受けたワケ

完成品に驚かされるのは先端のグリップ力。

驚くべきことに、手のひらの”表皮”だけをつまみ、皮膚を傷つけず、引き上げることができるのだ。

長崎大学 永安学長
「フィーリングが大事だって私は言ったんですけど、我々はすぐこうやって(手のひらを)つまむんですよ。これが他の製品ではできないんですよね。こうやって“膜”をつかむことができる──これだけでも『この製品、いけるね』っていう感じですね」

機能を証明するため、長崎大学では実験を行った。

小さなビーズをつまんで別の器に移す実験だ。学生、研修医、ベテランの医師、30人を動員し、“従来のピンセット”と速さと扱いやすさを比べたのだ。

結果は『サメ肌鑷子』の圧勝。さらに実際に手術で使用した救急対応の現場からは驚きの声も上がったという。

永安学長
「気管切開は緊急でやりますから、やる側も焦ってやるんですけど、そんなときに膜をうまくつかめずにツルン、ツルンとなってたら…患者さんも状況が悪くなってくる。でも救急の医師が『この鑷子は素晴らしい』と言ってくれた。『膜1枚をしっかりとつまんで持ち上げることができる。緊急性の高いときに役に立つ』って」

これで長崎県民の一員になれた

これは製作した事業者にとっても大きな意味のある開発だったという。

KTX野田社長
「長崎県内に工場を構えて、長崎県に何か足跡を残すってことがなかったんですけれども、今回、この鑷子を長崎大学さんに納品することで、ちょっと長崎県民の一員になれたかなっていう、ちょっとそんな自負があります」

国内での特許も取得し、医療器具としての認定も受けた。長崎大学ではサメ肌加工そのものへの可能性も実感している。

永安学長
「鑷子以外にもいろんな外科医のニーズに応えられるようなものをサメ肌加工でやっていきたいと思っております」

サメからヒントを得て作られた究極のピンセット『サメ肌鑷子』。今後、胸腔鏡やロボット手術器具などへも応用し、医療界全体への貢献が期待されている。

長崎大学が培ってきた“経験”と 長崎で展開する“モノづくりの技術”が融合した逸品だ。