サッカーチームに「ホペイロ」と呼ばれる職人がいることを知っているだろうか?

ホペイロとはポルトガル語で「用具係」。ユニフォームやスパイクなど選手の道具を管理する仕事だ。Jリーグ60クラブでホペイロがいるのは42クラブ。海外ではすでに重要視されているポジションで、国内でも今注目されつつある。

企業の思いや開発秘話を深掘りする企画『DIG Business』。今回は、自分が悩んだ経験をもとに選手の活躍を支える、ホぺイロの姿を取材した。

スパイクは選手の命

JFL(日本フットボールリーグ)のヴェルスパ大分に所属する”ホペイロ”阪本遼太さん(30)。道具管理だけではなく、スパイクの靴底にあるスタッド(突起)を削ったり、溝を入れたりする。プレースタイルやグラウンドの状況にあわせ、スタッドをミリ単位で調整し、選手のパフォーマンスを最大限に引き出す。つまりスパイクを加工できるスペシャリストだ。

阪本遼太さん

阪本さん
「スパイクは選手の命と言っていい。戦うためには絶対に必要なスパイクを他人である自分が触るということなので本当にミスも許されないですし、自分のミスで選手生命が終わってしまう可能性もある。それくらい慎重にスパイクは携わるようにしています」

スタッドを加工すると、地面をよりつかめるようになる。するとターンやステップのキレが増し、キックの軸足が安定する。雨でピッチコンディションが悪くても滑りをなくしプレー向上にもつながる。ただ、スタッドの長さが1ミリ不ぞろいなだけでも選手の足に負荷がかかり、転倒や捻挫のほか、最悪の場合は膝や足首の大けがにつながりかねない。

加工したスパイク:横に溝を入れると前に踏み出しやすくなる

ヴェルスパ大分・日根野達海選手
「加工で相当変わりますね。スタッドに溝を入れるとステップを踏むときに引っかかるのでターンもしやすくなる。JFLでホペイロをやっている人はあまりいないので本当に来てよかったです」

阪本さんは練習中、選手の足元や走り方、蹴り方をじっと見つめる。そして小さな変化を見つけては選手とつぶさに話し合い、スパイクを最良の状態へ調整する。阪本さんの真摯な姿勢に、選手は厚い信頼を寄せている。

ヴェルスパ大分・瓜生昂勢主将
「遼太くんを見たら、いつもスパイクを持ってる。好きなんやろうなあって思いますね。現場でやってる人間としては心強いし、最高に仕上がったスパイクで試合ができる。当り前じゃないんで常にありがたみを感じて、結果で恩返しします」

スパイクと歩んだ学生時代

阪本さんは1993年、福岡生まれ。幼少期からサッカー一筋で過ごしてきた。スパイクに興味を持ち始めたのは、幼稚園児の頃にテレビでみた中村俊輔だ。

阪本さん
「サッカーを始めた頃、中村選手がフリーキックを決めた映像を見たときに映ったスパイクが印象的で。中村選手のモデルのパティークの黒に赤いラインが入っているスパイクを選んだ記憶をいまだに覚えています。足に合ってなくて外反母趾になった苦い経験もあります」

その経験が阪本さんをスパイクの世界へと導いた。履きつぶした後、スポーツ用品店で店員と話すと、足の横幅がメーカーで異なるなどスパイクの特長を聞き、一気に虜に。中学生の時点で何十足と履き、実家のラックを埋め尽くすほどだった。

大学でもプレーするが度重なる足首のけがに悩まされた。恩師の背中を追いかけ、高校教師になろうと教育実習を終えた頃だった。インターネットである記事に出会う。日本初のプロホペイロ・松浦紀典さん(現・京都サンガ)の仕事ぶりだ。

阪本さん
「教育実習のときには先生になるっていう意気込みで行ってたんですけど、これでいいのかなって。でもサッカーをもう1回やるっていうのは考えられない。そのときに出会ったホペイロという仕事に対しての憧れがすごく大きくなった。サッカー選手のスパイクを磨けて、(サッカーに)携われて、Jリーグの舞台を目指せる。その舞台で働けるかもしれないというところにすごく魅力を感じました」

雑用からプロフェッショナルへ

大学のつてをたどって2016年、ヴェルスパ大分にスタッフとして入団。1年目はマネージャーとして日々の雑務をこなした。ホペイロになるべく、監督やコーチの靴を磨き上げてアピール。さらに選手から使わなくなったスパイクを集めては加工して技術も磨いた。狙い通りにスタッドを削れるようになり、自信のついたある日、初めての依頼は主力ディフェンダーの清水大輔さん(2019年引退)からだった。

阪本さん
「大輔さんがスタッドに溝を入れたいと持ってきて『失敗してもええで』と言いながら大事なスパイクを預けてくれた。それが最初のスタートでした。やっていくうちに大輔さんが周りに『いいぞ』って広めてくれた」

これをきっかけに多くのチームメイトがスパイクを預けてくれるようになり、2年目にはクラブから正式に「ホペイロ」として認められた。そこからはJリーグのホペイロが集まる会に参加して憧れの松浦さんをはじめとした先輩に教えを請い、さらに腕を磨いた。

今では評判を聞いたJ1の選手からも個別に依頼を受けてスパイクをカスタマイズしている。あこがれの舞台で戦う選手のスパイクを手がける阪本さんだが、依頼がきても断ることがあるという。

阪本さん
「例えば、依頼をくれた選手がひざのけがを持っていた場合、グリップが効きすぎてけがにつながる可能性がある。ドクターやトレーナーと相談し、そこは本当に慎重にやっています。選手の体や足の状態が悪い場合、今は加工するべきじゃないと正直に伝えます」

スパイクのグリップ度合いを上げる分、関節への負荷も高くなる。阪本さん自身、大学生時代に足首のけがに何度も泣かされた。だからこそ、選手には長くサッカー人生を送ってほしいと心から望んでいる。ただ加工するだけではない。選手のパフォーマンスを引き出すには何がベストかを常に考えているのが、“ホペイロ”阪本遼太である。

スパイクを磨く側から製造まで

阪本さんの仕事は、サッカーの試合終了後から始まる。この日は宮崎での練習試合を終えて、午後8時から用具倉庫にスパイクを運ぶ。試合で選手が履いた30足近いスパイクを“新品同様”にして戻す。それが阪本さんの信条だ。

阪本さん
「全然苦じゃないです。やっている最中は眠気がきたことはないですね。磨いている間に終わって気づくと結構遅い時間になることもある。ナイターゲームだったら午前3時~4時になることもあります。楽しいですよ。きれいになるし、それで点をとったり、勝ったりして選手が喜んでいるのを見るだけで良かったなって思う。自分がそのピッチには立てない分、スパイクに魂を込めて、そしてピッチで選手が頑張ってくれたらいい」

こうした阪本さんのひたむきさに共感したのがスパイクメーカーの「YASUDA」だ。「YASUDA」は1932年に誕生した初の純国産サッカースパイク。2002年に自己破産したが、自身も少年時代に履いていたスパイクを復活させようと佐藤和博社長が2018年にクラウドファンディングを実施した。それを見た阪本さんが「大好きなスパイクに関わりたい」と直接メッセージを送ったところ、2人は2時間を超える電話で意気投合。J1選手のスパイクの加工も手がけている阪本さんの腕前を高く評価し、ともにスパイクを作り上げることになった。

左)YASUDA 佐藤和博社長

YASUDA・佐藤和博社長
「若いんですけど、職人気質の人。マニアックな若い人と新しいものを作れればなと思った。うちの製造チームは阪本さんにほれ込んでる。僕の言うことを何も聞いてくれない(笑)」

阪本さん
「学生時代からスパイクが好きでやってきましたけど、まさか作ることに携われるとは思わなかった。それをプロの選手が履いている。本当に貴重な経験だし、YASUDAに感謝しかない」

そして今年3月、阪本さんが携わった新モデルが発売された。かかとの高さをミリ単位で上げてホールド感を出しつつも、動きやすさを追求したという。今年の開幕戦ではさっそく、チームのキャプテン瓜生が履いてピッチで躍動した。選手を足元から支えるスペシャリストにとってスパイクとは――。

阪本さん
「宝物ですね。人の宝物だけど預かっているっていうのはすごく幸せだなと思います。憧れからスタートした職業になれて一つ夢はかなったので、あとはもうひとつ、チームで一緒にJリーグに上がりたい。自分ができることをコツコツやっていくだけなんで、結果が最後についてくればうれしいなと思っています」