
■遺族・宮地俊子さん
「パスポートの写真を撮った後に『お母さん、学芸の“いい子ちゃん”に写ったろう?』って…。修学旅行へ行く時のパスポートの写真やったけど、“天国へのパスポート”になってしもうて…」
高校生活の“楽しい思い出”になるはずだった、修学旅行。しかし寿和さんは、異国の地で、16歳という若さで「帰らぬ人」となってしまいました。
事故の後から、宮地さんは、自宅近くにある寿和さんの墓を毎日訪れていますが、時が経てば経つほど「胸の中の苦しさは増す」といいます。

■遺族・宮地俊子さん
「歳月が経てば経つほど、忘れるのではなく、『悔しさ』『悲しさ』、そういうものが、日々心につのります。毎日、墓参りに行っているんですが、その度に『ごめんね、もう1回あなたに会いたかったけど…。ごめんなさいね。いつかは会えるから』って…。それしか、よう言いません。生きていればね、52歳。この遺影を見ても、52のおばちゃんになっちゅう姿を、想像ができんのです。もう、胸がえぐられる思いです…」
この事故をめぐっては、3人の遺族が「学校側の対応に納得できていない」として、今も慰霊碑に生徒の名前を刻んでいませんが、学校は「今後も引き続き、遺族との対話を続けていく」としています。
宮地さんも、この事故で心に深い傷を負った1人ですが、「『上海列車事故』を風化させてはならない。こんな悲劇を二度と繰り返してはならない」という強い思いで、今回、取材に応じてくれました。

■遺族・宮地俊子さん
「この教訓を、『この子たちが犠牲になった』ということを、この学校は忘れずにいてほしいです。何十年経っても、『高知学芸』が存続する限り、二度と、私たちみたいに悲しい思いをさせることがないように、こういうことを繰り返してはいけないと思います。もう私も75歳になりましたが、残された時間を、精一杯、この子と共に頑張って、前向きに生きていこうと思っています」