中国・上海を修学旅行中だった高校生と教諭が多数犠牲になった「上海列車事故」から、3月24日で36年が経ちました。

慰霊式で、とある遺族の女性が手にしていたのは、「この修学旅行へ行くためのパスポート用に撮った」という、娘の遺影。それが、娘の“天国へのパスポート”になってしまったといいます。

1988年当時、事故発生直後のニュース映像

「上海列車事故」は、1988年3月24日、中国・上海の郊外で、列車同士が正面衝突し、多数の死傷者が出た事故です。この列車には、修学旅行中だった高知学芸高校の1年生や引率の教諭ら193人も乗っていて、事故によって、生徒27人と教諭1人が犠牲になりました。

1988年当時、事故発生直後のニュース映像

事故から36年となった24日、高知県高知市の高知学芸中学・高校では慰霊式が行われ、19人(7家族)の遺族や、学校関係者らが、犠牲になった生徒らを追悼しました。

高知学芸中学・高校で行われた慰霊式(3月24日)

慰霊式では、橋本和紀校長が「遠い異国の地で亡くなられた皆様の胸中に宿っていた夢や希望に思いを馳せる時、痛恨の情に耐えない。学校が計画して実施した修学旅行中の事故で、亡くなられた28人の皆様に深くお詫び申し上げる。最愛のお子様を、楽しい思い出とともに、元気な姿で家族のもとに帰宅させることがでなかった。遺族の皆様に心よりお詫び申し上げる」と、犠牲者や遺族への思いを述べました。

そして、「事故のことを忘れず、これからも語り継ぎ、学校が存続する限り慰霊を続ける。命の尊さに思いをいたし、反省の上に立ち、この教訓を今後に生かしていく」と、今後への誓いを述べました。

事故当時、上海郊外の現場は、霧雨が降る寒い日だったといいます。当日と同じ、雨に見舞われた慰霊式には、遺族の宮地俊子さん(75)が、溢れ出る涙を堪えながら参列していました。

16歳だった娘・寿和さんを亡くした、宮地俊子さん(75)

宮地さんは、この事故で、16歳だった娘の寿和(すわ)さんを亡くしました。寿和さんの遺影とともに、当時の様子を語ってくれました。

娘・寿和さんの遺影とともに

■遺族・宮地俊子さん
「きょうは雨ですけど、今日みたいな雨だったら、あの日の上海のことを思い出して、胸がかき乱されるような思いです。(当時)上海へこの子を迎えに行った時も、冷たくなった体で…。その日のことを昨日のように思い出すと、何十年経っても、胸が張り裂ける思いがします」

宮地さんが手にしていた遺影。それは、あの日、修学旅行へ向かうため、娘・寿和さんが取得した「パスポート」の写真でした。