夢だったアイドル バクステのメンバーに

矢田喜多
「今からでもアイドルになれるかもって思って、捨て身でオーディション受けに行ったんですけれども、面接にはポートフォリオ(=自身の実績を相手にアピールするためのもの)持って、今までの私こういう人間でしたっていうのを、いっぱい写真とかイラストとか書いて、面接で『もしかしたら喋り忘れたこととかあるかもしれないので、これ私の分身として置いていきますので読んでください』って言って置いて行ったぐらいの情熱で(オーディションに)挑みましたね」

名前は自分で考えた。「やったきた」で「矢田喜多」
ようやく叶えたアイドルの仕事、それは思っている以上に大変だった。

矢田喜多
「ステージが常設されているカフェで働きながらアイドル活動できるグループだったんですけど、(運営の人に)『入ったらまず3曲を覚えて、そしたら、名前が与えられて、デビューできるよ』っていうような感じだったので、とにかくカフェに
出勤して勤務して、ダンスも覚えてレッスンに行ってっていう感じだったのでそれが大変でしたね」

アイドルになって3年目。自分の立ち位置にも変化が訪れる。