3月11日は東日本大震災、また東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こって13年でもあります。2012年に久米島で設立された福島県で暮らす子どもたちのための保養施設は、今もなお活動を続けています。久米島の保養施設に今回初めてボランティアで参加した16歳の思いを取材しました。

被災地・福島から5000人を受け入れてきた久米島の施設

「球美の里」。福島第一原子力発電所の事故により、外で自由に遊ぶことができなくなった子どもたちの保養施設として、2012年に久米島に設立されました。

「大きめの月桃の葉っぱを15枚くらい切ってきてもらっていい?オッケー」

今回、ボランティアのため球美の里を訪れた福島県出身の小野覇空真さん(16)。震災当時は3歳でした。

小野覇空真さん
「幼稚園でめっちゃ揺れて、怖かったなというのと、家に帰ってからテレビで津波の映像が流れていて、恐ろしくて震えていた感じがします。外で遊ぶのが大好きだったけど、(原発事故の影響で)木登りもできないし、外で駆け回るのも十分にできなくて、本当に嫌だったなという思い出はある」

そうした状況のなか、球美の里のことを知った母親が、当時4歳の覇空真さんを連れて久米島へとやってきました。それ以降、久米島の人々や自然に魅了され、球美の里へと度々、通うようになり、2016年に家族とともに移り住みました。

小野覇空真さん
「海とかで自分もいっぱい遊んでもらったり、食堂におもちゃがいっぱいあって、それでもいっぱい遊んで。小さい時にいっぱいやってもらったなとか思いながら」

福島を離れ、自然豊かな沖縄でリフレッシュしてもらいたい。そうした理念のもと、球美の里ではこれまでに延べおよそ5000人の家族を受け入れてきました。

福島市から訪れた母親
「実家は原発があるところにあって、除染しても小さい子を実家の方に連れていくのになんとなく心の中で不安もある。この景色を見られただけでも良い」

磐梯町から来た母親
「こういった施設を受け入れてくれたりすることと、子どもたちが遊べる場所もあって連れて行ったりすることも含めて、すごくありがたく感じている」