被災当時3歳だった男性 ボランティアとして施設に帰る

去年、久米島町の中学校を卒業し、沖縄高専へと進学した覇空真さん。
島を離れたあとも、自らを救ってくれた球美の里に恩返しがしたいと、学校の春休みを利用して、今回ボランティアとして参加することを決めました。
小野覇空真さん
「お兄ちゃんお姉ちゃんがいっぱい遊んでくれてそれがとても嬉しくて、自分もそういうことをしたいなと。お世話になったから恩返ししたいという気持ちが一番大きい」
この日は家族らのリクエストで、覇空真さんの特技、三線を披露しました。
♪「久米島よいとこ、一度はめんそーれ」
施設にきた子どもたち
「上手だった」
「楽しかった。やさしくてかっこいい」
小野覇空真さん
「球美の里は心のよりどころになっていったところでもあるし、自分が楽しませてもらったから全部返そうくらいの気持ちでやっています。自分も楽しいです」
覇空真さんが6歳の頃から、スタッフとして見守り続けてきた影山弘幸さん。影山さん自身も、原発事故を機に福島から沖縄へと移住してきました。

施設長 影山弘幸さん
「覇空真もすごく小さくて、こんな子たちが辛い思いしているんだと、ずっと見ていたそんな子が大きくなって、こうした支援、手伝いをしたいと自分から言ってくれるのは私としてはうれしい。つながっていったという感覚」
今もなお、原発事故の影響が続く福島の子どもたちに、沖縄で思いっきり羽を伸ばしてもらいたい。震災から13年を経た今、自らの体験をもとに、その決意を新たにしています。
小野覇空真さん
「原発が起こって、外で遊べなくなったりとかしたのは嫌だったけど、こうやっていろんな人と関わりあったり、沖縄のことを知れたりしたのは、良かったと思っている」
施設長 影山弘幸さん
「なんでこういう施設ができて、保養ということが起こるのかということも含めて、若い子たちにはあってはならない事故だったというのは伝えていかなければと思う。辛い時期をみんなで支えながら過ごしていってほしい」
覇空真さんは今後、県外にある保養施設でもボランティアとして携わっていきたいとしています。

小野覇空真さん
「小さい子とか子どもたちにも震災の話をして、こういうことがあったんだよということをつなげていきたい」
震災に翻弄され13年。覇空真さんの恩返しを込めた活動が続いていきます。