地震が起きたとき、汐凪さんは、小学校の隣の児童館にいました。
迎えに来た祖父は、「家にいるおばあちゃんが心配だから」と、汐凪さんを連れて、自宅に帰ります。
中村さん:
「木村さんが話すとき、結構、気丈に振る舞うじゃないですか。それどれだけしんどい話だったかなと思うと、やっぱり、子どもたちには、切ない思いをしてほしくないし、自分で考えて、選択できる人になってほしいなって思っています」
原発事故から13年。
立ち入り制限が続く中間貯蔵施設の敷地。
そのなかに、汐凪さんが通っていた小学校があります。

今も、教室は、あの日のまま、時を刻み続けています。
木村さんは、小学校を含めたこの地域一帯を、原子力災害の遺構として残すことを提案しています。

木村さん:
「復興していくのは大事なことだと思うんですけども、それだけじゃなくて、自分たちの経験した犠牲みたいなもの。ちゃんと教訓として残していく。そういう部分も大事に考えてほしいな、と思うんですけどね。今の豊かな、なに不自由ない世の中の裏側にある現実。こうなる可能性もありますよっていう、その上で社会は成り立っていることを問いかけているような、これでいいのかみたいなね、そんな場になっているような気もしますけど」