震災から5年9か月後。

汐凪さんの遺骨の一部が見つかります。

自宅からわずか200メートルの場所でした。


木村さん:
「うちの父親もおそらく近くにいたと思うんだけど、12日の避難になるぎりぎりまで捜索してた消防団の何人かが声を聞いてるんですね。だから下手すると、父親はもしかすると生きていた可能性がある。てことになると汐凪も、もしかしたらっていう思いが、(遺骨が)見つかったことによって消えなくなっちゃったんですよ。原発事故によって、助かる命が奪われてしまったっていう可能性もあるし」

救えたかもしれない、いのち。

木村さんの自宅周辺は、中間貯蔵施設の敷地になっています。

除染作業で出た放射性物質を含む土や廃棄物を2045年まで保管。

敷地は東京都の渋谷区とほぼ同じ広さです。

木村さんは、どこかに汐凪さんが眠る、この場所で、震災と原発事故の教訓を伝え続けたいと思っています。

この日は、長野県の教員も参加していました。

軽井沢西部小学校の中村文洋(なかむらふみひろ)さん。

学生時代、ボランティア活動で木村さんと出会いました。


中村さん:
「災害(震災)のときの状況も知らない子たちになっているので、そのときの被災された方だったり、長野の人もそうですけど、どんな気持ちだったのかっていうのを考えていくところから、伝えるとこから始めていくのが、やっぱり難しい」

修学旅行で福島を訪れて、子どもたちと木村さんの話を聞いたこともあります。

3月になって、5年生の防災の授業で、木村さんのことを取り上げました。