避難解除はされたが…。13年経た帰還困難区域のいま
しかし、帰還の動きは進んでいません。
町内放送「避難指示が解除されました」
2022年、大熊町で避難指示が解除された町の中心部。震災前、活気にあふれていた商店街は、原発事故で人がいなくなり、現在、建物も姿を消しました。町の医療を担っていた総合病院も、閉ざされたまま…。
現在、コンビニや飲食店などが入る商業施設の建設が進んでいるものの、完成はまだ先です。
大熊町に戻り、喫茶店を営む武内さん。生活インフラが整わないことが帰還を阻む大きな理由だと感じています。
武内一司さん
「医療関係もスーパー関係もここにはないから。あっち(避難先)で生活基盤もできているから。何するにも不便でしょう、だから(避難した人も)戻りたいとは思わないでしょ」
震災前、大熊町で1万人以上が暮らしていましたが、戻ってきたのは250人と、2%にとどまっています。
大熊町に新たな動き。移住した若者の思いとは
こうした中、町が取り組んでいるのが“移住者”の呼び込みです。
震災から13年、福島県大熊町では新たな動きが。かつての小学校を改修した施設。IT関連のベンチャー企業など現在、およそ100社が利用中で、その6割が県外の企業です。

4か月前、東京・渋谷から移住し、教育事業をオンラインで展開している男性は―。
起業家・沖野さん
「大都市圏と比べたらもう全然低い価格で起業しやすいですし、私もすごく会社を移転しやすかった」
施設の利用料は、月々わずか3000円。さらに町は、住宅購入者に支援金を出すなどして、122人が移住してきました。
この流れを確かなものにしようと動く地元住民がいます。4年前、町に戻ってきた南場優生海さん。
南場さん
「横のつながりが欲しいと思ってて。『大熊に移住してきて、あんまりまだ友達がいないです。知り合いになりたいです』みたいな人がつながるといいなと」

「復興には外の人の力が必要」と考え、移住者と帰還者らが交流するライングループを作り、 月1回ほどイベントを開いています。メンバーは徐々に増え、現在56人に。
共に手を携え、町のPRや生活基盤の改善を進めています。
栃木県から移住した早瀬さん。
栃木からの移住者
「キッチンカーで食を通して大熊町を盛り上げるきっかけ作りみたいなことをしている。自分にできることがあるなら役に立ちたいと思って。(大熊町は)人が人を呼ぶみたいなところは強いんじゃないかな」
移住者の手を借りて進む前例のない復興。活気が戻ることは嬉しい反面、複雑な思いもあります。5年前に帰還した伏見さんは―
伏見明義さん
「これから大熊町の人じゃなくてもよそからも来てくれると思うんで、そしたらどんどん人が増えてくると思う。(避難した人も)事情があると思うけど、やっぱり戻ってきてもらいたい」














