終戦後の蛇島で大根を育てていた人に話を聞いた
終戦を迎えガソリン庫としての役割を終えた当時の蛇島を知る人がいます。蛇島の対岸にある佐波賀集落に住む森本晁生さん(88)です。
(森本晁生さん)「私らが行った頃はまだ建物の跡でガラスや大きな石がゴロゴロしていました。(南の)海側に高さ2mほどの土手があって、その土がよかったのでそれを引っ張って畑にして。結構大根は採れていましたよ」
地元の青年会に所属していた中学時代の1950年ごろ、泳いで渡った蛇島で育てていたというのが舞鶴発祥の京野菜「佐波賀だいこん」です。
(森本晁生さん)「(大根の)種子代が青年会の資金になって、ほとんどが旅行でしたけど、年1回。城崎やら伊勢やらいろいろ行きましたよ、毎年」
10年ほど採種のために島で大根を育てていました。しかし、その後は国有地となり蛇島に立ち入ることはできなくなってしまいました。
(森本晁生さん)「いいところですよ。行ったらゆっくりできるし。あそこには大きなクスノキがあるんですが、その下に入ったりして。(Qいっぱい思い出ありますね?)ありますよ、ようけ。私はずっと木の上ばっかりにおった」