谷内孝行さん
「生まれ育った町だし、住んでいる人の顔も分かるので。その人たちがどういう思いでその時過ごしているのかと考えると、胸が締めつけられる思いだった。輪島に帰ったら工場は潰れているだろうと…潰れていれば『廃業かな』と思っていた」

谷内さんの豆腐店のトレードマークは、ブルーの「移動販売車」。奥能登地域をくまなくまわる昔ながらの行商スタイルでの売り上げは全体のおよそ6割に上ります。


常連客(2022年当時)
「だいたい毎週買ってますよ。車はないしスーパーまで行けないから、来るの待ってる。豆腐なかったら、生きていけないよ」
「谷内さんのゴマ豆腐、美味しいですよ。大好きなんです」

思い入れのある町並みは、地震ですっかり変わり果てた姿に。工場で働くおよそ10人の従業員のうち、8人は2次避難などで輪島市を離れ、谷内さん一家も、現在は金沢市の親戚の家に身を寄せています(1月末時点)。さらに、この春3年生になる小学生の長女は、金沢の学校に転校させることに決めました。こうした状況で、店の営業再開は当面は叶わないと谷内さんはため息をもらします。


谷内孝行さん
「本当は今年、隣の畑の土地を買って地面舗装して増設する予定だったんです。作る量がだんだん増えてきたので。従業員が働きやすい環境を作って、もっと生産性を増やせればと思っていた」