7月末の協調介入に匹敵する円高進行、市場のテーマが変わり始めた

足元のドル円相場は大きく下落している。

160円近辺で推移していたドル円は、わずか短期間で150円台前半まで下落し、その変化幅は7月末の円買い協調介入時に匹敵する規模となった。

今回の特徴は、介入のような明確なイベントが存在しないにもかかわらず、大幅な円高が進行していることである。市場関係者の間では、大きなヘッドラインよりも投資家のポジション調整や相場観の変化が主導しているとの見方が強い。

今回の円高圧力の中心にあるのは、日本側の要因と考えられる。

その最大のきっかけとなったのが、ベッセント財務長官による日本の政策に対する発言である。同長官は、日本の金融政策や財政運営について踏み込んだ発言を繰り返しており、市場では日本の政策運営が従来よりも円安是正方向へシフトするのではないかとの見方が広がった。

その結果として、①日銀の利上げ観測が高まり、②高市政権を巡る財政リスク認識が変化した。また、③一部ではGPIFによるアロケーション変更の可能性も意識されるようになった。

GPIFに関する議論はベッセント財務長官が直接言及したものではないが、片山財務相が円安・金利上昇をけん制する文脈で持ち出された議論であり、無関係とは言い切れない部分がある。

これは、従来の円安ストーリーの修正を意味する。

これまでは、高市政権が日銀の利上げを抑制するとの見方が強く、円安・物価高への対応は補助金などの財政政策によって行われるとの見方が根強く、財政リスクも意識されやすかった。また、円安を前提とした個人による外貨投資継続も予想されていた。しかし、それらの前提条件が揺らぎ始めたことで、円安が続くという市場のコンセンサスも揺らぎ始めている。

日銀・財政・マネーフローを巡る市場の再評価

今回の円高局面では、市場は主として日本要因を織り込んでいると考えられる。

第一は、日銀の利上げ観測の高まりである。

ベッセント財務長官は繰り返し日銀の政策正常化を支持する姿勢を示しており、市場では9月利上げがほぼ完全に織り込まれる状況となった。これまで「高市政権は日銀の正常化を抑制するのではないか」とみられていたが、その見方は後退している。

第二は、高市政権の財政リスク低下である。

市場ではこれまで、責任ある積極財政の名の下で国債発行が増加し、日本の財政リスクが高まるとの懸念が存在した。しかし、長期金利上昇や海外投資家からの牽制もあり、市場では財政運営が徐々に修正されるとの期待が浮上している。財政拡張リスクが後退すれば、円売り材料も後退することになる。

第三は、GPIFのアロケーション変更観測である。

これはあくまで市場の思惑であり、公式な方針変更が示されたわけではない。しかし、日本金利の上昇や円高方向への政策修正観測を受けて、海外資産偏重だった資金配分が見直されるのではないかとの議論が広がっている。重要なのは、その議論の中身よりも、日本から海外へ資金が流出し続けるという従来のテーマが修正され始めていることである。

こうした変化を総合すると、日本発の円安圧力は以前よりもかなり弱まっていると考えられる。特に重要なのが、高市政権を巡る財政リスクの低下である。市場が今後も財政規律回帰の可能性を意識するのであれば、円売りが市場の中心テーマとなる可能性は大きく低下するだろう。

その意味では、ドル円相場が160円を大きく超えて上昇していくシナリオの確率はかなり低下したと考えられる。

日銀要因による円高には限界もある

もっとも、日本側の要因だけをドライバーに、1ドル150円を割り込む円高が進むと予想することも難しい。

最大の理由は、日銀の利上げ観測には限界があるためだ。

すでにドル円は150円台前半まで低下しており、この水準に近づくと、日本企業の業績への悪影響が意識され始める。また、25年のドル円相場は平均して150円台前半で推移していたことから、円安による物価押し上げ効果も大きく薄れてくる。

そうなれば、日銀が利上げを前倒しする理由は徐々に減少するだろう。市場は現在9月利上げをほぼ織り込んでいるものの、それ以降の追加利上げについては改めて慎重な見方が広がる可能性が高い。

筆者は9月の日銀金融政策決定会合で利上げが実施される可能性は高いとみている。しかし、それは市場が期待するようなタカ派的利上げではなく、「ハト派利上げ」になる公算が大きい。利上げは実施する一方、連続利上げや早期追加利上げへのコミットメントは避けるだろう。

つまり、現在の円高は「過度な円安の修正」という性格が強い。その修正だけでドル円が150円を大きく割り込むとは考えにくく、今後の相場の方向性を決める主役は、徐々に米国側へ移っていくことになる。

次のテーマは米政府のドル安選好の可能性と、FRBのハト派化へ

結局のところ、ドル円相場をさらに円高方向へ押し下げるかどうかを決めるのは、④FRBの金融政策とドル相場の方向性、⑤原油価格上昇による貿易赤字拡大と実需の円売り圧力、の二つである。

このうち最も重要なのはFRBの動向だろう。

筆者はFRBが9月利上げを見送る可能性が高いと考えている。雇用統計は強かったものの、賃金上昇率は鈍化しており、インフレ圧力は徐々に弱まっている。また、それ以上に重要なのは、米国で財政問題が新たな市場テーマになりつつあることである。

ベッセント財務長官は財政健全化の必要性を示唆している。仮に米国が本格的な財政健全化へ向かうのであれば、その副作用として需要不足や内需低迷への懸念が高まる可能性がある。

その場合、経済を支える役割を担うのは金融政策であり、FRBによる利下げやドル安を許容する政策運営が選好される可能性がある。

実際、ベッセント財務長官は「成長」を強調しているが、その内容は日本でイメージされる積極財政型の成長戦略とは異なる。規制緩和や民間部門主導の成長を重視する姿勢が目立っている。財政健全化を進めつつ民間部門の投資を支えるという構想の下では、過度なドル高や高金利は望ましくない。

現状では、ベッセント財務長官は日本に対して日本経済や市場のために円安圧力を弱める方向性を求めているように思われる。しかし、その背景には、結果として米国に有利なドル安環境を構築したいという意図も含まれている可能性がある。

ドル円相場の原動力が「過度な円安の修正」である限り、150円近辺が一つの着地点となるだろう。しかし、市場のテーマが「米国によるドル安政策の推進」へと変化するならば、150円割れも視野に入ってくる。

今後のドル円相場を占う上で重要なのは、日本の政策運営ではなく、相場の主役が日本要因から米国要因へ移るかどうかという点である。ドル円相場の次のトレンドは、日銀よりもむしろベッセント財務長官やFRB高官の発するメッセージによって決まる可能性が高い。

(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)