日銀のビハインドザカーブ傾向を示唆する過去の発言

日銀のビハインドザカーブの傾向は決して今に始まった話ではない。

筆者が特に印象的だったのは、内田副総裁が24年2月8日の講演で異次元緩和について語った場面である。

内田副総裁は、「海外では、リーマンショック後に、米国が量的緩和(QE)を導入し、多くの国が非伝統的政策を行いました。私自身は、中央銀行界全体として、どこまで非伝統的な政策を行うべきであったかは、歴史的に問われるべき問題だと思っていますが、個々の中央銀行としてはそれを前提に考えるしかありません。こうした内外の情勢を前提とした場合に、日本銀行として、非伝統的なことはしない、という選択肢はなかったと思っています」と述べた。

異次元緩和の出口戦略を模索する中で、異次元緩和は既に不要との立場を示す狙いもあったのだろう。

しかし、仮に異次元緩和でさえ外的要因の変化に応じて導入された政策だったと整理するのであれば、現在の日銀がベッセント財務長官の問題提起に反応することにも大きな驚きはない。

日銀のビハインドザカーブ傾向は、少なくとも近年になって突然始まったものではないのである。

戦略的なビハインドザカーブ

もっとも、異次元緩和が本当に外部環境に従属した政策だったかといえば、筆者はそうは思わない。

13年4月の異次元緩和導入直後の市場混乱を振り返れば、当時の政策は市場予想を大きく上回るサプライズ色の強いものであった。少なくとも単なる受動的政策ではなかったと考えられる。

それにもかかわらず、内田副総裁が異次元緩和を「外部環境を踏まえれば避けられなかった政策」と整理している点は興味深い。言い換えれば、日銀内部には「主体的に動いたと評価されるよりも、むしろビハインドザカーブと評価された方が望ましい」という考え方が存在している可能性がある。

実際、最近の日銀の政策運営を振り返ると、政策変更を市場より先回りして主導するというよりも、市場や経済情勢の変化を十分確認してから追随する傾向が強いようにみえる。

現在の日銀は、単にビハインドザカーブに陥っているのではなく、それをある種の戦略として選択している可能性も否定できない。

日銀の損失関数は「政策ミス批判の最小化」か

では、なぜ日銀はビハインドザカーブを選好するのだろうか。その背景には政策ミスへの批判を最小化するという損失関数が存在している可能性がある。

中央銀行が先手を打って引き締めを行い、その結果として景気悪化や市場混乱が生じた場合、政策当局は直接的な責任を問われやすい。

一方で、ビハインドザカーブへの批判は、必要と判断される範囲で利上げを進めればよいという形で対応できる。

批判は受けるとしても、そのダメージは比較的小さく抑えられる。今回も、ベッセント財務長官によって利上げプレッシャーが高まったという認識が広がっていれば、予想外の市場経済の変動があったとしても、批判の矛先は日銀だけでなくベッセント財務長官にも向かうだろう。

24年7月の利上げは、その好例であろう。当時の日銀はややサプライズ的な利上げを実施したが、その後には利上げが早過ぎたとの批判が数多く聞かれた。

日銀内部では、この経験が強く記憶されている可能性が高い。結果として、多少ビハインドザカーブと批判されても、先走りによる政策ミス批判よりはましだという考え方が強化されていても不思議ではない。

市場ではしばしば日銀の政策反応関数が分かりにくいと指摘される。しかし、もし日銀が目指しているものが物価や成長率の最適化だけではなく、政策ミスとの批判を最小限に抑えることにあると仮定すれば、これまでの行動は比較的理解しやすくなる。

足元の9月利上げ観測やベッセント財務長官への対応も、その文脈で捉えると整合的に説明できるのではないだろうか。

「戦略的ビハインドザカーブ」のコストは日本経済が払っている

なお、「戦略的ビハインドザカーブ」は万能なのか、という点については、そうではないだろう。

仮に上手く先回りできるのであれば、先手を打って政策を決めた方が、市場経済の変動を最小化できる。足元の不確実性というコストを払いながら、将来の政策ミスへの批判を軽減していると言える。

問題はこのコストを払うのは日銀ではなく、日本経済全体であることである。日本経済全体がコストを払うことで、日銀の損失リスクに保険をかけている構図である。

仮に日銀が十分に信頼され、後から政策判断が間違っていたと指摘されたとしても、それは仕方がないことで政策ミスではない(日銀の信認にダメージを与えない)という均衡状態があるのだとすると、現在の均衡状態はベストとは言えないだろう。

(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)