SNSと行動バイアス
行動バイアスは、他にも様々な種類がある。その中でも、SNSによる情報収集が主流となっている今日において、特に注意すべきものの一つは「確証バイアス」と考えられる。確証バイアスとは、自身の考えや信念を支持する情報を優先的に集め、それに反する情報を軽視する傾向である。例えば、ある銘柄の将来性を信じている投資家は、それを裏付ける情報を積極的に検索する一方で、否定的な情報には注意を払わない場合がある。こうした傾向は、SNSやインターネット上で生じる「フィルターバブル」によってさらに強化される可能性がある。フィルターバブルとは、アルゴリズムによって、ユーザーの閲覧履歴や関心に基づく特定の情報が優先して表示され、異なる視点が届きにくくなる現象である(髙宮、2025)。これが確証バイアスをさらに強化し、投資判断においても特定の見方に固執する要因となりうる。
加えて、「利用可能性ヒューリスティック」という行動バイアスもある。これは、手に入れやすい情報や印象的な出来事を過大評価する傾向である。例えば、SNSで話題になった投資の成功事例など記憶に残りやすい事例について、その再現可能性や重要性を実際よりも高く評価し、投資判断に反映してしまうといったことが起きる。
確証バイアスについては、1960年代より様々な実証研究により確認されてきた(Wason, 1960など)。利用可能性ヒューリスティックも1970年代に提唱されており(Tversky & Kahneman, 1973)、その概念自体は新しいものではない。また、脳はすべての情報を把握し、公平に処理することが難しい。したがって、こうした行動バイアスは限られた認知資源の中で効率的に判断を下すために必要な機能として発達したとされる。一方で、膨大な情報が日々発信され、利用者自身が取捨選択する場面が多い現代においては、これらのバイアスが判断に及ぼす影響に、これまで以上に注意を払う必要がある。
ナッジとスラッジ
行動バイアスはネガティブな影響だけでなく、時にポジティブにも作用する。その代表例として「現状維持バイアス」がある。これは、Samuelson & Zeckhauser(1988)が提唱したもので、現状維持か変更かを選択する場面において、人は現状維持を選ぶ傾向があるというものだ。こちらも、損や後悔をしたくないという損失回避傾向が働いている。投資においては、証券口座を開設したが買付をしなかったり、資産配分を見直さない、退職後に資産を取り崩さないといった行動につながる。
特に、近年は、積み上げた資産を計画的に取り崩し、生活費や目的資金として活用する「デキュムレーション」の重要性が高まっている中、現状維持バイアスはその阻害要因となる。例えば、高齢期には現状維持バイアスに加え、損失回避傾向や長寿リスクへの過度な不安が重なり、必要以上に資産を使えないケースが想定される。
一方で、英国では、現状維持バイアスを資産形成につなげた例がある。2000年代、英国では職域年金の加入率低下が課題となっていた。これに対し、政府は従来の「任意加入(オプトイン)」方式から、加入したくない人だけが手続きをする「自動加入(オプトアウト)」方式に変更した。その結果、自動加入方式導入前後で、加入率が大幅に上昇した。これは、変更手続きをしない「現状維持バイアス」が、ポジティブに作用したといえる。

このように、行動バイアスを活用し、より良い方向に誘導することは「ナッジ(nudge)」と呼ばれる。ナッジは、「そっと後押しする」という意味であり、リチャード・セイラー教授とキャス・サンスティーン教授によって提唱された概念である。資産形成以外の分野でも、例えば、家庭向けの電力使用量の通知に近隣世帯の使用量を併記することで、平均より多く使用している世帯の使用量がその後減少するといった介入が知られている。これは、周囲と同じように行動しようとする社会規範の影響や、他世帯より電気料金が高いことを損失として認識し、損失回避の心理が働いた結果と考えられる。
ナッジは、行動バイアスの存在を前提として、人々の行動を望ましい方向へ導く手法である。しかし、その活用には倫理的な問題や悪用の懸念も存在する。例えば、サブスクリプションサービスにおいて、加入はオンラインで容易にできる一方で、解約は電話でしか受け付けていなかったり、解約手続きが分かりにくく設計されているケースがある。これは、現状維持バイアスを利用して解約を抑制するものである。
こうした、人々の望ましい行動を妨げたり、不必要な手間や負担を課したりする制度設計は、「スラッジ(sludge)」と呼ばれ、ナッジと同様にセイラー教授らによって提唱された。スラッジは、ナッジとは対照的な概念として位置づけられている。セイラー教授は、ナッジの利用に際して、「透明性の確保」「容易なオプトアウト」「対象者の幸福や利益の向上」という3つの原則を提示し、誤った意思決定へと誘導するために利用されていないか注意深く確認する必要があると主張している(Thaler,2015)。
スラッジの一種として、利用者を特定の行動へ誘導する欺瞞的なインターフェース設計はダークパターンと呼ばれる。日本と同様に、個人投資家が増加している韓国では、金融機関のアプリにおいて「自動投資」機能が初期設定で有効化され、利用者が解除しない限り一定額が自動で投資されるケースなどが、ダークパターンの事例として指摘されている(Song Ki-young,2025)。
日本においては、現時点では投資分野におけるスラッジが大きな社会問題となっているわけではない。しかし、個人の資産形成が一層拡大する中で、行動バイアスを悪用した販売手法やインターフェース設計が広がらないよう、今後の動向を注視していく必要がある。