・投資判断は合理的とは限らず、感情や心理的バイアスに影響される
・人は利益より損失を強く恐れるため、損切りが遅れる傾向がある
・SNS環境は、自分の好む情報だけを集める偏りをさらに強める
・心理を応用した誘導は、良い仕組みにも悪質な罠にもなり得る
・バイアスを理解し、長期積立投資などで自己を制御することが大切
行動経済学とは
足元では、日経平均株価は最高値圏で推移している。こうした局面では、個人投資家は「買い増すべきか」「利益確定すべきか」と悩み、投資をしていない人は「今から始めるのは遅いのではないか」「乗り遅れないよう早く投資しなければ」と焦りを感じることもあるだろう。こうした投資判断は、必ずしも合理的な計算や計画のみに基づいて行われるわけではない。人は、感情や過去の経験から生じる思い込みなど心理的なバイアスの影響を受けながら意思決定を行っている。そして、それを分析するのが「行動経済学」という学問である。
従来の経済学では、個人は「利益が最大化するよう合理的に行動する経済人」として捉えられてきた。一方、行動経済学は、人間は必ずしも合理的に判断・行動するとは限らないという前提に立ち、心理学の知見を取り入れて経済行動を分析している。1970年代以降に発展し、近年では金融をはじめ様々な政策分野に応用されている。本稿では、行動経済学が指摘する行動バイアスを理解したうえで、それを抑える資産形成の仕組みを考える。
プロスペクト理論~得をするより損したくない~
行動経済学が発展する契機となったのが、1979年にダニエル・カーネマン氏とエイモス・トヴェルスキー氏が提唱した「プロスペクト理論」である(Kahneman & Tversky, 1979)。同理論は、人は同額の利益と損失を比較した場合、利益よりも損失を強く感じる「損失回避」の傾向を持つことを示した。例えば、「(A)確実に10,000円もらえる」と「(B)50%の確率で22,000円もらえる」という選択肢がある場合、一般的に多くの人が(A)を選ぶとされる。期待値は、(A)が10,000円、(B)が11,000円(22,000円×50%)であるため、(B)を選ぶことが合理的だが、実際には「損をしたくない」という心理が働くのである。
この損失回避傾向は、投資行動において様々な形で現れる。代表例の一つが「ディスポジション効果」である。これは、投資家が含み益を抱えている株式は早期に売却する一方で、含み損となっている株式はなかなか売却しない傾向を指す。Odean(1998)は、1万口座の取引記録を分析し、この傾向を実証的に確認した。ディスポジション効果の背景には、損失を確定したくないという投資家心理がある。含み損のある株式を保有し続けること自体が誤りとは限らないが、過去の損失にとらわれることで、合理的な判断が妨げられることがある。
こうした行動は、「サンクコスト」あるいは「コンコルド効果」と呼ばれるバイアスにも関連している。これは、「費やした金銭や時間、労力に固執し、投資し続けてしまうこと」を指す(Arkes & Blumer, 1985)。要するに「もったいない」という心理によって、非合理的な判断をする傾向であり、投資においては損切りができなかったり、損失を取り返そうとよりリスクの高い投資をするなどの行動を招く。
また、「保有効果」も、プロスペクト理論から説明される代表的な現象である。これは、資産を手放す際に「損失」を認識することから、一度所有した資産を、所有していない人よりも高く評価する傾向である。著名な実証実験は、Kahneman et al.(1990)であり、マグカップを一度所有した人は、所有していない人よりも高い価格を付けることをあきらかにした。こちらも、保有している株式をなかなか手放せない行動につながる。
損失回避傾向は不動産市場にもみられる。Genesove & Mayer(2001)は、不動産市場において、購入価格を下回る価格で売却する所有者は、より高い売り出し価格を設定すると指摘した。これは、売却による損失をできる限り回避したいという心理だが、結果として、売買契約が成立しにくくなり、市場での取引が停滞する可能性がある。
このように、プロスペクト理論から派生した様々な行動バイアスが、投資行動に影響を与えている。ただし、バイアスの影響の大きさには個人差があり、置かれた状況によっても異なる点には留意が必要である。例えば、金融経済教育推進機構(J-FLEC)の「金融リテラシー調査(2025年)」によると、損失回避傾向の強さは年齢・性別によって異なる。さらに、実証実験で証明されたことも、時代や国・地域によっては必ずしも同様の結果が得られるとは限らない。そのため、こうした行動バイアスの存在を理解したうえで、自身がどういった傾向を持っているのかを注意深く意識していくことが、投資を活用した資産形成において重要となる。
