(ブルームバーグ):長きにわたる「ゴジラ」ファンの私でも、熱心な同好の士たちに比べれば何も知らない初心者に過ぎない。1954年11月に初めて東京を踏み荒らした日本の古典的怪獣を主役に据えた新作映画の予告編を、ユーチューブで徹底的に分析するファンたちの姿には目を奪われる。
ゴジラが自由の女神像の横を歩く場面を基にスケールを計算し、次回作での巨大化の度合いまで導き出しているのだ。その労力は、ピンの先で踊る天使の数を数える中世の神学者に匹敵する。
自由の女神のシーンは、「ゴジラ-0.0」の約2分間の予告編に登場する。この作品は、黒澤明監督の「七人の侍」を世に送り出したのと同じ年に初代ゴジラを公開した東宝が、今年11月に公開する予定だ。
一方で、熱心なゴジラ研究家たちは、カリフォルニア州バーバンクに拠点を置くレジェンダリー・ピクチャーズが手がける「モンスターヴァース」シリーズ最新作「ゴジラXコング:スーパーノヴァ」の予告編も厳密に検証している。
彼らの関心は、2027年公開予定のこの作品でゴジラと対峙(たいじ)する敵の正体を突き止めることにある。相手は悪魔的な「デストロイア」なのか。それとも結晶状の肩を持つ変異体「スペースゴジラ」なのか。
お察しの通り、この熱狂的なファン層はいま分裂のただ中にある。過去10年、地球上には2つのゴジラが存在してきた。1つは本家の日本発、もう1つは米国発だ。
東宝はこの巨大で収益性の高い象徴的存在、推定で10億ドル(約1600億円)以上の価値を持つとされる知的財産の分岐を管理していく方針を明らかにした。混乱はむしろ深まる可能性もある。
まずは歴史を振り返る。2004年、東宝のゴジラ映画は劇場公開28作をもって創作的に行き詰まった。1954年以来、ゴジラは暴れ回る悪役からアンチヒーロー、地球の守護者、目がぎょろりとしたコミカルな存在、さらには興行的な失敗作へと変遷してきた。
その後、2014年にレジェンダリーが高評価を得た「GODZILLA ゴジラ」を公開するまで、新作映画は作られなかった。同社は東宝と非公表のライセンス契約を結び、厳格な監督下でこの怪獣を使用した。東宝が慎重だったのには理由がある。
1998年の米国版ゴジラは、批評家にもファンにも受け入れられなかったからだ。レジェンダリーはゴジラをキングコングと組ませ、これまでのモンスターヴァース5作品はいずれも世界で数億ドル規模の興行収入を記録している(同社のヒット作「デューン」の資金源となった可能性もある)。
世界的な関心が高まる中、東宝は2016年に「シン・ゴジラ」を製作した。これは21世紀の環境災害と官僚的無能が生んだ怪物として再解釈された作品で、その年の日本実写映画最大のヒットとなった。
2023年には「ゴジラ-1.0」を公開し、シン・ゴジラを上回る成功を収め、海外でも大ヒットした。両作品とも、1950年代のゴジラの原点に忠実である点が評価された。ゴジラ-1.0は2024年の米アカデミー賞で視覚効果賞を受賞し、日本映画として初の快挙となった。
東宝とレジェンダリーは同じ観客層を奪い合わないよう、同じ年にそれぞれのゴジラ作品を公開しないようにしてきた。
しかし最近は公開時期が重なり始めている。同時にレジェンダリーは「Apple TV」でゴジラとコングを登場させたシリーズ「モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」を展開しており、現在はシーズン2に入っている。さらに東宝は幾つかのアニメシリーズや短編作品にもゴジラを登場させている。
こうした中で東宝は、これら全てのバリエーションが「ゴジラワールド」として共存可能だと宣言した。この取り組みを率いるのは大田圭二氏で、NewsPicksとの最近のインタビューでこの構想について語った。
映画やコミックに加え、フィギュアからTシャツ、マグカップに至るさまざまな商品を展開する米ウォルト・ディズニーの「マーベル・ユニバース」に近い考え方だ。ディズニーは著作権保護に積極的で、最近では無断でマーベルキャラクターを生成した人工知能(AI)企業にも対抗措置を講じている。
東宝が示しているのは、多くのゴジラが存在し得ても、その全てを統括するのは自分たちであり、必要とあれば知的財産権を行使するという姿勢だ。
「チーフ・ゴジラ・オフィサー」という肩書を持つ大田氏は、東宝のアニメ事業、商品・ライセンス、デジタルコンテンツ販売、さらには知財管理と戦略を担う。
新作映画や新しい怪獣、新規観客層、あらゆる世代に向けたゴジラの広がりを見据えている。同時にブランド展開も加速しており、すでにフォーミュラ1(F1)マシンやラコステのTシャツにも登場している。
私はゴジラ作品が増えること自体には賛成だ。ゴジラは主役としてジェームズ・ボンドを上回る数の作品に登場している。
しかし同時に、この怪獣の意味が希薄化することも懸念している。大田氏は東宝で約40年にわたり主にアニメ分野に携わってきた。レジェンダリーとのライセンス契約などには積極的だが、高く評価されたシン・ゴジラとゴジラ-1.0への関与は比較的少ない。
東宝を象徴する怪獣は再び原点から離れてしまうのか。レジェンダリー作品の怪獣がますます漫画的になりつつある中で、その兆しは見え始めている。
激動の時代に都市を破壊する怪獣について語ることを不謹慎と感じるファンでない人々に対し、ゴジラを正当化する議論はいくらでも可能だ。この怪獣は極めてヒューマンな存在でもある。
初代ゴジラは1954年3月、ビキニ環礁で行われた米国の水爆実験に強く触発された。この実験では約80マイル(約129キロメートル)離れた場所に停泊していた日本漁船の乗組員23人に放射性物質が降り注ぎ、多くががんを発症、あるいは死亡した。船の名は「第五福竜丸」だった。
核と竜という現実の組み合わせにより、ゴジラ第1作の本多猪四郎監督は放射能を帯びた怪獣が東京を破壊する姿を通じて、広島と長崎を巡る日本の感情を投影した。ゴジラは悲劇を体現し、それを乗り越える手段でもあった。
今日のファンも怪獣同士の戦いに熱狂している。私の中の6歳の子どもも同じだ。しかし同時に、この怪獣が持つ深いレガシーも尊重している。
ゴジラ-0.0の映像に、1945年の原爆で骨組みだけが残った広島の原爆ドームを想起させる描写があると指摘する声も多い。ゴジラとその同類は獣のような原始的な振る舞いを見せるが、リルケが述べた通り「全ての天使は恐ろしい」。だとすれば、怪獣の側に立つのも悪くない。
(ハワード・チュアイオン氏は、ブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、文化とビジネスを担当しています。以前はブルームバーグ・オピニオンの国際エディターで、米誌タイムではニュースディレクターを務めていました。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの見解を反映するものではありません)
原題:How Many Godzillas Is Too Many Godzillas?: Howard Chua-Eoan(抜粋)
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