はじめに

2026年1月27日、日本マーケティング学会主催「第1回コラボ委員会 アルゴリズム時代のブランド創造」に参加した。

本委員会では、アルゴリズムがブランド形成や消費行動にいかなる影響を及ぼしているのかをテーマに、活発な議論が行われた。

当日の登壇者は、ワンメディア株式会社 代表取締役CEOの明石ガクト氏と、青山学院大学経営学部教授の久保田進彦氏(以下敬称略)である。久保田は、『リキッド消費とは何か』(新潮新書)の著者として知られ、日本におけるリキッド消費研究を牽引してきた第一人者である。

本イベントは久保田教授の招待により参加の機会を得たものであり、アルゴリズムが嗜好形成や消費構造に与える影響について、実務と理論の両面から考察を深める貴重な機会となった。

本稿では、当日の講演内容を整理し、リキッド消費への理解をより一層深めることを目的とする。

嗜好のアルゴリズム化

当講演において久保田は、「嗜好のアルゴリズム化」というコンセプトを提示したうえで、アルゴリズムが人々の嗜好を集約し、結果として消費の画一化をもたらしている点について指摘した。

嗜好のアルゴリズム化は、個人の既存の嗜好に合わせて情報が提供されるというよりも、アルゴリズムによって提示される情報そのものが、人々の嗜好を形成していく点に特徴がある。

消費者は自律的に選択しているように見えながら、実際にはアルゴリズムによって構成された情報環境のなかで嗜好を獲得していくというのだ。

さらにアルゴリズムは、嗜好を完全に個別化するのではなく、反応や行動が似通った人々を「マッチ」させることで、市場において嗜好のまとまりを形成する。

ただし、それは社会全体を覆う単一の大きな流行ではなく、いくつもの小さな嗜好の一致として現れる。

久保田はこのことを「アルゴリズムによる嗜好の小さな一致」と表現している。

この点は、筆者が以前論じた「局地的ブーム」と非常に近い様相を示している。

消費の個人化が進むなかで、人々は「みんなが選んでいるもの」ではなく、「自分が好きなもの」を基準に消費するようになった。

SNSの登場はこの傾向をさらに加速させ、現実の生活圏では出会えなかった同じ趣味や嗜好をもつ他者と容易につながることを可能にした。

その結果、人々は「界隈」と呼ばれる、緩やかで流動的なつながりのなかに身を置くようになっている。

かつては、テレビや雑誌といったマスメディアを通じて、多くの人々が同じ情報に接し、同じコンテンツを消費していたため、社会全体を覆うような大きな流行が生まれやすかった。

しかし現在では、消費の場や関心は細分化され、流行は界隈ごとに生成される。社会全体から見れば小規模で断片的である一方、それぞれの界隈の内部では、強い共通感覚や高い熱量を伴った流行や話題が同時多発的に生じている。

筆者は当時、このような現象を「局地的ブーム」と呼んだ。

流行が社会全体を覆う単一の形態から、無数の局所に分散した形態へと変容したことを示す概念である。

そして現在の嗜好のアルゴリズム化は、こうした局地的ブームを偶発的に生むのではなく、構造的に生成し、再編成し続ける仕組みとして理解することができる。

一般に、現代の消費は「多様化」していると指摘されることが多い。

確かに選択肢の数は増え、消費の基準も個人ごとに異なっているように見える。しかし一歩引いてみると、実際には「とりあえず、みんなと同じ」という態度が消えたわけではない。

その「みんな」の射程が、社会全体から、自分の属する界隈やグループへと縮小したにすぎないのである。

消費の個人化と多様化が進んだように見える現代において、実際には、アルゴリズムを媒介として形成された小規模な集団単位での同調と一致が、より強固に作動している。

観察すると、人々の嗜好は必ずしも拡散しているのではなく、久保田の言う「いくつもの小さなまとまり」や、筆者のいう「局地的ブーム」のように、特定の単位ごとにむしろ一致する傾向を強めている。

なお、この「アルゴリズムによる嗜好の小さな一致」は、人々の好みが自発的・自然に収束していく現象というよりも、社会やプラットフォーム上で「良い」「評価されている」と可視化された基準に、個人が自らを適合させていく過程として捉えるほうが適切である。

久保田曰く、それは「好みが似ていく」というよりも、「好みを合わせにいく」行為に近い。

例えば、タピオカブームを考えてみよう。

同じ属性に属すると感じられる人々が、SNS上で日常的にタピオカについて投稿している様子が繰り返し提示されることで、「自分もそのブームに乗りたい」という感覚が生まれる。

ここで重要なのは、必ずしも最初からタピオカに強い関心があったわけではないという点である。アルゴリズムによって、同じ属性と推定される他者の消費行動が集中的に提示されることで、個人の関心が次第にタピオカへと集約されていくのである。

このとき、同様の関心を示す人々が多数存在しているように「見える」こと自体が、さらに関心を強化する。結果として、タピオカを中心とした嗜好の集約が、特定の属性や界隈の内部で生じているように経験される。 

この現象は、アルゴリズムによる誘導が強く作用しているため、SNSの利用頻度が低い層や、若者文化と距離のある年配層にとっては、そもそもタピオカが関心の集約点となっていることに気がつかない。

そのため、同じ社会に生きていながら、ブーム自体を実感しないという状況が生まれる。

SNS上の流行が属性ごとに分断される背景には、こうした構造がある。特定の界隈ごとに小さなブームが生じるのも、そのブームが同じ界隈の内部でのみ繰り返し提示され、界隈の外部には可視化されにくいためである。

その結果、流行は社会全体に波及することなく、限定された範囲で集中的に盛り上がり、やがて収束していく。すなわち、アルゴリズムによって形成される嗜好の一致は、必然的に「小さな規模でのブーム」を生み出す構造を内包しているのである。

模倣的欲望から見るリキッド消費の加速メカニズム

筆者は、久保田のリキッド消費における消費の画一化の構造を出発点にSNS環境がその構造にどのような動態を与えているのかを検討したい。

久保田は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を参照しつつ、漠然とした不安(対象が不明確な不安)下では、人々は判断の拠り所を外部に求めやすくなり、「何を選ぶべきか」をSNSによる流行や多数派の行動の可視化に依拠すると述べていた。

この外部依拠は、単なる判断の委ねではなく、欲望そのものの形成様式と深く関わっている。筆者は、リキッド消費における価値の短命化を、ルネ・ジラールの「模倣的欲望」の視点から再解釈したい。

ジラールによれば、人は対象そのものを自律的に欲するのではなく、他者がそれを欲しているから欲する。

彼はこの欲望構造を、
①欲望の対象、
②欲望する主体、
③欲望のモデル(模倣の対象)という三項からなる「欲望の三角形」として示した。

欲望の起源が他者の欲望の模倣にある以上、欲望は対象それ自体から自律的に生まれるものではない。対象はあくまで媒介されるものであり、欲望を生み出す契機は「他者がそれを欲している」という事実にある。

したがって欲望は、対象に内在する実体的価値に根差すのではなく、他者との関係性のなかで構築される関係的な現象である。この意味で、欲望は本質的に充足されにくい構造を持つ。

さらに言えば、私たちは他者が現に欲しているものだけでなく、「他者がこれから欲するかもしれない」と予測した対象をも先回りして欲望する。

すなわち、欲望は常に他者を参照しながら、時間的にも先取りされうる。欲望が他者によって媒介されるというこの構造は、SNS環境のもとで一層強化されている。

ジラールの模倣的欲望の視点から見れば、SNSは「旬を食いつくす装置」として理解できる。

SNSの定着により、消費者一人ひとりが情報発信主体となり、日常的な消費行動や体験が絶えず共有されるようになった。

日々投稿される食事、購入品、体験談、自己演出の数々は、単なる情報ではなく、「他者の欲望の達成」が可視化された痕跡である。

他者が消費したモノの投稿は、その対象が他者によって欲望され、すでに獲得されたことを意味する。

それを目にしたときに生じる「自分も欲しい」という感情は、対象そのものへの純粋な関心というよりも、欲望を実現した他者への参照に基づく模倣的衝動と捉えることができる。

すなわち私たちは、モノを羨んでいるというよりも、モノを媒介に成立している他者の欲望を羨んでいるのである。

欲望は対象そのものから生じるのではなく、他者がそれを欲しているという事実から生じるとすれば、流行の本質はモノの内在的価値にあるのではなく、「多くの他者が欲している状態」そのものにある。

SNSはこの状態を極端に可視化する装置である。誰が、どの程度、どのタイミングで欲しているのかがリアルタイムで共有されることで、模倣的欲望は一気に加速する。

その結果、模倣的欲望は短期間に集中し、消費行動もまた同時的に発生する。さらに、このサイクルは個人でみても社会的にみても速くなっている。朝SNSで興味を持ったものを夜まで覚えているだろうか。

気になっていた商品を消費できた余韻はどれくらい続いているだろうか。文字通り我々の興味が流動性を帯びており、興味が移り変わるスピードも速くなっているのだ。

この加速は、単に情報量が増加したという問題に還元できるものではない。

むしろ重要なのは、可視化された欲望がタイムライン上を一過的に流れ去るという構造である。どれほど多くの反応を集めた投稿であっても、個々人の視界に現れるのは基本的に一度きりである。

欲望は集中的に喚起され、短時間で消費され、そして次の対象へと移動する。こうして関心そのものが流動化していく。

さらに、SNSでは新しいモノ、珍しいものを我先に経験して投稿してバズるというプロセスが定着している。

新しいモノや珍しい体験をいち早く経験し、共有する行為が価値を持つ環境では、感度の高い消費者が先行して対象を経験し、その詳細を事細かに発信する。

これは他者にとって消費判断の材料を提供するという利点を持つ一方で、とりわけ体験型のコト消費においては、体験の過程や驚きまでもが事前に消費されてしまうという側面を伴う。

珍しい視点や新規性の高い情報ほど拡散されやすいため、実際に自らが消費すると新規性がなく、SNSの答え合わせをする行為へと変質する。

このように、情報が瞬時に流通し尽くす市場環境においては、一瞬で情報が食い尽くされてしまい、その「旬」の持続期間はきわめて短くなる。

さらに重要なのは、SNSが「欲望の生成」だけでなく、「欲望の終焉」までも可視化している点である。

SNS上では、ある対象をすでに消費し終えた人々や、関心を次の対象へ移している人々の存在が同時に示される。

すなわち、欲望のモデルとなる他者が、もはやその対象を欲していないという事実までもが公開されているのである。模倣的欲望においては、欲望の持続はモデルの持続に依存するため、他者が欲し続けている限り、その対象は欲望の媒介項として機能する。

しかし、参照していた他者=SNSのタイムラインがすでに飽き、次へ移動していることが可視化された瞬間、欲望の媒介関係は断絶する。

その結果、主体はまだ対象を経験していないにもかかわらず、欲望の根拠を失う。羨望や模倣衝動の源泉は、対象そのものではなく「それを欲している他者」にあったからである。

モデルの移動が、欲望の空洞化を即座に引き起こすと、関心は急速にしぼみ、「すでに流行は終わった」「今さら感がある」といった認識のもと、次の対象へと移動していく。

この意味で、SNSは単にモノの消費を促進する装置ではない。それは、欲望を生成し、加速させ、そして短期間で消尽させる装置である。

消費されているのは対象そのものというよりも、対象を媒介に形成された欲望の関係構造なのである。

リキッド消費の短命化をめぐる二つの視座

本稿で展開してきた議論は、流行や関心が限定的な範囲で生起し、比較的短期間で移り変わるという点において、久保田のリキッド消費の議論と一見すると似た現象を扱っているように見える。

しかし両者は同一の現象を説明しているわけではなく、焦点としている分析レイヤーが異なっている。

久保田の議論は、リキッド・モダニティにおける社会基盤の流動化を背景に、人々が判断の拠り所を外部へと求めるようになる構造を明らかにしている。

そして、その外部参照が多数派行動や成功モデルへの同調を生み、結果として消費の画一化をもたらす。

この同調は社会全体を覆う大規模な流行というよりも、特定の集団や属性の内部で集中的に共有される傾向を持つ。そのため流行は限定された範囲で急速に盛り上がり、関心の移動とともに比較的短期間で収束していく。

すなわち、本稿の整理に即せば、消費の短命化は、不安と外部依拠という社会心理的条件から帰結する現象として理解できる。 

これに対して筆者は、ジラールの「模倣的欲望」の視点から、欲望がどのように生まれ、どのように持続し、さらにどのように失われるのかに注目している。

とりわけSNS環境では、他者の欲望の達成だけでなく、その関心の移動や飽きまでもが可視化されるため、欲望を媒介していた関係が急速に解体されやすい。

したがって、久保田が「なぜ人々は外部に依拠し、同調するのか」を社会構造の観点から説明しているのに対し、筆者は「なぜその欲望は持続せず、急速に消尽するのか」を欲望の媒介構造の観点から説明している。

両者は同じ現象を異なる視座で捉えたものであり、対立関係にあるのではなく、むしろ補完的である。

久保田が示したリキッド消費の不安構造は、欲望を外部参照へと向かわせる条件を整える。一方で筆者の視点は、その外部参照がSNSによって可視化されることにより、欲望の寿命そのものが短縮される構造を明らかにしているのである。

このように整理すると、現代消費は、不安の増幅と欲望の可視化という二重の条件のもとで、局所的な一致と欲望の媒介関係の急速な解体を反復している。その結果として、価値は短命化しているのである。

(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 研究員 廣瀬 涼)

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