9月30日、宮内庁内の一室で皇族費について決める「皇室経済会議」が開かれ、石破総理らが集まった。議題は三笠宮家について。以下2点が事実上確定した。
(1)三笠宮家は彬子さまが当主に。妹・瑶子さまはその家に残られる。
(2)彬子さまの母・信子さまが三笠宮家を離れ、別の家を創設される。
それぞれどういうことだろうか。具体的に何が変わるのか?
“当主不在”とは
皇室の「家」にはそれぞれ当主がいるのが通常だ。たとえば高円宮家は、高円宮さまが亡くなってからは、その妃の久子さまが継いで務められている。当主は法的な概念ではないが、その家の代表として祭祀をとりおこなうなど重要な役割がある。一般人でいう「世帯主」とイメージすれば分かりやすいかもしれない。各家の当主が決まっているのに対し、三笠宮家では不在だった。

三笠宮家は、1935年、昭和天皇の弟・崇仁さま(=三笠宮さま)の成年式当日に創設された。
その後、三笠宮さまと妃・百合子さまは3男2女に恵まれたが、2女は結婚により皇室を離れた。また、長男寛仁さま、次男宜仁さま(=桂宮さま)、三男憲仁さま(=高円宮さま)は両親より先に亡くなっている。直近は百合子さまが家の当主を務められていたが、2024年に逝去。その後は、寛仁さまの妃・信子さま、その長女・彬子さま、次女・瑶子さまの3人が残った。