金子みすゞ 世に広まったきっかけは?

スタッフ
「金子みすゞさんが、どのようにして世の中に広まったんですか?」
草場さん
「亡くなって52年目に、みすゞさんの弟さんが見つかって、3冊の遺稿の手帳を託された。矢崎さんが、16年探し続けて発見したっていう」

無名だったみすゞさんを、死後探し出し、世に広めた人物がいるとのこと!

聞くと東京在住ですが、月に1度、記念館に来ているそうで、来館日を伺い、再び訪問しました。

金子みすゞを世に広めた、童謡詩人で記念館の館長でもある矢崎節夫さん。

矢崎さん
「日本の童謡というのはどういう流れがあるのかって知りたいと思って、1冊の本を手に入れました。岩波文庫というところで出している、日本童謡集。その中に、金子みすゞという、とっても響きの良い名前を持った童謡詩人がいて、その人の童謡を読んだら、僕自身の物の考え方をひっくり返してくれた。もっと読みたいと思って、古本屋街をずっと金子みすゞっていう人の詩集がないかと思って探した。なかったんですね」

どうしてこんなにすごい人の作品が残っていないんだろう?1966年、矢崎さんによる、みすゞ探しが始まりました。

矢崎さん
「あるとき、金子みすゞさんは下関から投稿していたというふうに書いたものがあったの。運よく、下関に中学時代の友人が大学の教授として行っていた、梅光女学院に」

その後、友人の協力もあり、親戚にあたる人を発見。すぐさま電話をかけると、こう、告げられました。

金子みすゞの親戚
「弟が、東京にいるよ。」

名は、上山雅輔(かみやま がすけ)。当時日本を代表する劇団で、演出を務めていました。

1編の詩との出会いから16年-矢崎さんはついに、みすゞさんの実の弟にたどり着いたのです。

矢崎さん
「最初は、とてもうれしそうにお話をしてくれた。僕もうれしく聞いていた。であるとき、だんだん体を抱きしめるようにして話していたの。自分が半世紀以上言わないでいた姉のことを話すことができた喜びもあったし、文学青年ですよ。雅輔さんも。本当に憧れで、宝物みたいなお姉さん。それを秘めていることを絞り出すように体を抱きしめてね。で、目を赤くするのよね。真っ赤にして、こう、天井を見上げながら話してくれたのがすごい印象的でした」

矢崎さん
「『あなたが見たいだろうと思って』って言って、横の紙袋から出してくれて、ふっと置いてくれたのが3冊の童謡集だった。数を数えたらなんと512編あるわけだから。それはびっくりしましたね。雅輔さんが『どうぞこれをお持ちください』って僕に言ってくれたときに、これはきちんと残さないといけないと思ったし、こんなすごい作品をひとりのものにしちゃいけないと思った」

決意を固めた矢崎さんは、1984年に「金子みすゞ全集」を。2年後には、彼女の生涯を綴った書籍を出版。これにより、詩人・金子みすゞは世に広まっていきました。

矢崎さん
「雅輔さんが、原本でもある本を大事にしてくれたおかげで、私たちは512編が読める」

本を託した雅輔さんは、それから5年後の1989年に他界。亡くなったのは、4月11日。姉、みすゞさんが生まれた日でした。そして現在、みすゞさんの詩は
15か国語に翻訳され、世界中で愛されています。

矢崎さん
「みすゞさんの詩を読むと、日常の煩雑なことの中で忘れてしまいがちな大事なことをいつも原点に戻らせてくれる。あなたはあなたのままでいいんだよって。それが、みすゞさんの言葉の持つ力だと思います」

みんなちがって、みんないい。

童謡詩人・金子みすゞ。
見えぬけれどもあるものを 見つめた彼女の作品は
人々の心に いつまでも こだますることでしょう。

(mixで紹介した特集の中から、ゴールデンウイークに家族で楽しんでもらいたい話題をピックアップしました)