■日本人もよく使う飛行機 富山とネパールの深く長い関係も

実は、富山とネパールのつながりは深く長いといいます。富山県の立山・芦峅寺は日本で最も古い立山ガイドの村として知られ、ネパールで山岳ガイドもつとめるシェルパ民族と古くから交流があるのです。

飯田学芸課長:
「立山の山関係の皆さんと、ネパールの山岳地帯、特に登山の支援をしてくださるシェルパ民族とは古くから交流があって、1970年に芦峅寺の佐伯富男さんがエベレストのスキー登山隊に参加したときから現地の方と交流が続いている、そういう場所です。現在は立山エベレスト友好協会というNPO法人を作って、立山の山岳関係の皆さんと、ネパールのシェルパ族の皆さんが交流しています。かつては芦峅寺に小学校があったのですが、そこの小学校とエベレストの山麓の標高4千メートルのところにあるクムジュンスクールという、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリー卿が作った学校と姉妹校だったので、子供同士の交流も含めて毎年のように行き来していました。学校同士の交流でも(今回事故に遭った航空機を)使ったことがあります。富山からネパール、特にヒマラヤのトレッキングに行く方もかなりいますので、そういう方たちはかなりの割合で乗っている飛行機でした」

ポカラにはネパールの国際山岳博物館もあって、富山の自然をテーマにした立山カルデラ砂防博物館とも姉妹関係を結んでいるといいます。そのため事故のあった飛行機を利用することも多く、ショックは大きいといいます。

飯田学芸課長:
「(ポカラには)われわれの博物館と姉妹関係にある博物館もあり、必ず乗るのでショックです。
ポカラは大きな盆地でヒマラヤの厳しい山の中を飛んでいるわけではないので事故の確率は少ないのかなと思っていたが、こういうことがあってびっくりしている」

今回、日本人が乗っていなかった理由は?

飯田学芸課長:
「海外の方はかなりネパールのトレッキングとかに戻ってきているということですけど、コロナの影響などあって、まだ日本人の数は少ないのかなというところなので、今回(犠牲者に)日本人がいなかったというのもそういう影響もあるのかなと思っています。日ごろは日本人もよく使う飛行機だと思います」

コロナの影響もあるのではと飯田さんは話します。