太平洋戦争末期だった1945年8月2日未明に富山を襲った未曽有の空襲。当時10歳だった稲垣よし子さん(89)は、焼夷弾が降り注ぐ地獄絵図の中にいました。あれから80年、稲垣さんは、長年語ることがなかった記憶を次世代に語り継いでいます。
稲垣よし子さん
「ハチが来たら網で取って。ハチは大ごちそう。ヘビおったら、ちょっとしっぽ踏んだら、ぴゅっと前出ます。その前出た瞬間、首をきゅっと捕まえる。そういうものを食べて生きながらえてきた」

小中学校への出前講座で戦時中や戦後の暮らしについて伝えているのは、富山市の稲垣よし子さん(89)。

稲垣よし子さん
「ウー、ウー、ウー、ウー、警戒警報発令。すぐこういう防空頭巾をかぶって」
稲垣さんは10歳、国民学校4年の時に富山大空襲を体験しました。

1945年8月2日未明、174機の米軍爆撃機・B-29が富山市の中心部に50万発以上の焼夷弾を投下し、市街地を焼き尽くしました。
破壊率は99.5%と空襲を受けた都市の中でも最悪の被害となり、死者は約3000人にのぼりました。