大会5日目の8月11日午前2時。長野県駒ヶ根市の公園で稲崎が寝ていた。ここまで大会4日間で睡眠時間は合計わずか4時間半しか寝ていなかった。関門に間に合わせるために睡眠時間を削らなくてはならない事態に陥っていたのだ。午前3時ごろ、稲崎が起きて準備を始める。
稲崎:
「寒い。寒くなって来たね。(体力的にはどうですか?)かなり疲れてますね。眠い」
極度の睡眠不足で頭が朦朧としていた。ここから30キロ先には、全体の中間地点となる長野県伊那市の市野瀬の関門がある。そこに補充・交換する荷物が置いてあるのだが、頭が混乱しているようだ。
稲崎:
「きょう荷物、中間地点に届けてあるので(富山県の)砺波?あ、頭回ってない。市野瀬?長野か」
午前3時52分、準備を終えた稲崎が走り出した。
黎明の山々が美しい。清々しい空気の中を、稲崎が一歩一歩、着実に走っていく。
市野瀬の関門。12時の制限時間を前に選手たちが到着してくる。
稲崎も元気を取り戻し、制限時間より2時間半も早く到着した。
ダンボールの粘着テープをはがし、補充する装備や食料を確かめる。
少し気持ちも落ち着いてきたようだ。
稲崎:
「疲れたね。やっと半分。いいペースじゃないんですかね。優勝争いに加わるのではなく、富山の友達もいますので。おそらくいっしょにゴールという感じになると思います。着実に太平洋を目指して行きたい。目標は完走。時間は関係ないので」
楽しさはあるのだろうか?
稲崎:
「楽しさはないです(笑)。たまに仲間と会って会話するくらい」
8月11日午前10時過ぎ。気分も新たに稲崎は、富山県の松本らと3人で出発した。残すは南アルプスだけだ。ゴールが見えてくるかもしれない。そのときはそう思っていた。
同じ日の午後5時半ごろ、ゴール地点の静岡市大浜海岸では、まもなく台風に変わる熱帯低気圧の影響で激しい雨が降り始めていた。
そこへ現れたのは大阪の土井陵選手。
大会新記録となる4日間と17時間33分で見事ゴール。2016年に静岡県の望月将悟選手が作った“5日間切り”の4日間23時間52分を6時間19分上回る大会新記録だった。
しかし、このあと強まる雨が、まだ山の中を走り続けている選手たちに襲いかかることになる。
南アルプスの仙丈ケ岳に登る稲崎のGPSの軌跡。時折、行動が止まっているのがわかる。仙丈ケ岳はトランスジャパンアルプスレースの選考会にも使われている山で、稲崎が登り慣れた山のはずだった。しかし、徐々に雨が強くなり、気温も低下。大自然の猛威が、稲崎たちに襲いかかった。
稲崎:
「仙丈ケ岳、南アルプスの入り口。トランスジャパンの予選会に使われている練習も合わせて20回以上登っている山で、普段だったら6時間で登るんだけど、俺も松本君も疲れがたまっていて、ちょっと休もうよが2時間、3時間になって。結局、山頂についたのが0時だった。12時間もかかった」
寒くて持っている衣類全てを着ても震えが止まらない。非常用のポンチョを忍ばせていたのがせめてもの救いだったが、寒気が収まらないので動き続けるしかない。雨の中、ガスで湯を沸かして温かい物も食べた。夜明け頃には雨が上がったが、もう少し雨が続けばかなり危険な状態になっていたところだった。
大会6日目の8月12日。この日の昼までにさらに3人の選手が疲労などを理由にリタイアをしていた。
一方、この日の午後5時51分。富山県の石尾和貴がゴールを果たした。
石尾:
「地元スタートだったので、いやあ長かかったですね。5日と18時間。でもよく来られたと思います」
石尾の父と姉がゴールで出迎え、ともに喜びに浸った。
ちょうどその頃、南アルプスの関門、三伏峠では。
富山県の松本貴宏が、わずか10分関門に合わず、無念のタイムアウト。
そして、稲崎は…
稲崎:
「僕は1時間、2時間くらいオーバー。気持ちが、自分の弱さが出ましたね。そのときにがんばって行った選手は関門に間に合いましたからね」
すみません力不足で…稲崎は大会スタッフに謝罪の言葉を繰り返した。
スタートから6日目、稲崎の挑戦が終わった。
この後、三伏峠を通過できた選手4人も、睡眠不足や悪天候、低体温症などによって、リタイヤとなった。
日本一過酷な山岳レースに挑戦した30人の選手たち。
そのうち20人が完走。稲崎ら10人がゴールに届かなかった。
8月13日の夜、稲崎は1週間ぶりに富山県滑川市の自宅に帰った。
稲崎:
「レース序盤からペースづくりができなくて初日から借金生活。予定では1日4時間睡眠取ろうと計画立てて行ってけど、初日だけ3時間くらい寝られたかな。それ以降は1日の行動時間が24時間じゃ足りなくなってきて。想像以上にきつかったですね。体力的にはまだまだ走れる足は残っている。もう2日ほどは。これだけ何日もかけて歩くことはなかったもんですから。眠さが一番きつかったかな。ここで関門に引っかかるというのが僕らしいんですかね。完璧じゃないところが」
妻・美也子は…
「でもいいんじゃないですか。1回目だから。初めてだから。こんなもんでと思いますけど」
稲崎がコレクションにしていた過去4回の選考会のゼッケン、その隣に今大会のゼッケン28番が並んだ。ゼッケンを見つめながら稲崎がつぶやく。
稲崎:
「今回(予選で)落ちて行った選手が、おそらく次出るんだろうな」
頭に浮かんだのはともに選考会にのぞみながら、大会出場を果たせなかったライバルたちの顔だった。
稲崎:
「トランスジャパンアルプスレースを目指して10年が経って、ようやく出場ができた。ひと区切りついたので、一応、自分は満足しているので。終われてよかったというか、出られない選手もいっぱい見てきたので。欲を出せばきりがない。次の大会を目指して走りたいですけど、やっぱり次の人にどんどんしてほしいですし。大事なひと枠を、台無しにしてしまって。本当のことを言うと(完走をして)実行委員の人たちに感謝したかったですけど。この大会はスタッフも過去の完走者で運営している大会なので、2016年から一緒に戦ってきた選手も実行委員にいる。申し訳なかった。もう少しやれるところを見せたかったという悔しさはある」
帰宅から3日後、地元のランニングクラブの早朝練習に稲崎の姿があった。
稲崎:
「日を追うごとにもう少しこうしておけばと。少しずつ」
あの時こうしていれば…そんな気持ちが強くなってきているようだ。トランスジャパンアルプスレース出場を通じて、稲崎は何か変わることができたのだろうか。
稲崎:
「ありましたね。ギリギリまでがんばれたというか。少し粘れるようになったのかなと」
遠くを見つめながら、そう語った稲崎。次の目標に向けた一歩を踏み出したようだ。