日本一過酷と言われる山岳レース、日本海から太平洋まで日本アルプスを縦断するトランスジャパンアルプスレース(略称はTJAR)。
8月7日午前0時「3、2、1、スタート」
ゼッケン番号28番、富山県の54歳・稲崎謙一郎はたくさんの応援に見送られる中、スタートを切った。
稲崎を含め、選考会を勝ち抜いた30人の選手たちが、魚津市の早月川河口を出発し、まずは剱岳の登り口、馬場島へ向かう。
総距離は415km、累積の標高差は27,000メートルにも及び、選手たちは8日間以内(192時間)の完走を目指す。
早くも一人の選手が抜け出した。大阪の消防士、40歳の土井陵選手だ。国内のトレイルラン最高峰レースウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)で2位になった優勝候補だ。スタートからおよそ30キロの馬場島まで2時間半でたどり着いた。ここから標高2,999メートルの剱岳まで、通常のコースタイムは9時間ほどの行程だが、土井らトップランナーは3時間ほどで駆け上がっていく。
富山県から出場しているのは3人。稲崎のほかに、33歳の公務員・石尾和貴。そして、50歳の会社員・松本貴宏。稲崎と松本は、選考会で何度も顔を合わせていて、実力も同じくらいだ。
早月尾根を稲崎が登ってきた。調子はどうだろうか?
稲崎:
「きついです」
富山県滑川市に住む稲崎にとって、剱岳は登り慣れた山だが、重い荷物が肩に食い込む。普段と違う環境も影響したようだ。
稲崎:
「普段通る道でも、試合となると雰囲気が違って、背負う荷物もいつもより1.5倍くらい重い感じで、馬場島着く頃はもう足がなくなっていた」
剱岳の山頂から次々に選手が駆け下りてくる。出場選手30人のうち半分は、上位を狙って少しでも早いゴールを目指す。一方、半分の選手は完走することが目的だ。鍛え上げられた選手たちでも完走することさえ困難なレースなのだ。制限時間をにらみながら、途中に設けられた関門と、時間との戦いとなる。
午前12時過ぎ、剱岳の頂上に1人の選手が現れた。明らかに遅い。岡山県の河田英樹選手だ。準備の関係で前夜、眠ることができなかったという。頂上から急峻な尾根を下る足元がふらふらしている。ついには岩稜の途中で眠り込んでしまった。大丈夫だろうか。
稲崎が剣沢のキャンプ場を通過して行った。当初の計算より、少し遅れているようだ。
最初の関門である上高地に8月9日の午前8時までにたどり着かないと、そこでタイムアウトとなり終了になってしまう。北アルプスの厳しい自然が選手たちを苦しめる。
稲崎:
「初日は24時間以上行動しました。次の日、2日目はもう寝られなかったですね。ちょっと仮眠をとる程度で槍を登って行って、西鎌尾根の風がとにかく厳しくてそれとガスと。視界が全然きかない。視界は2、3メートルで自分の足元がやっと見える状態。途中、風を避けて富山県の松本君が腹ごしらえしていて、風が強いから一緒に行こうと」
稲崎は富山県の選手・松本とともに励ましあって、なんとか上高地の関門に間に合った。
稲崎:
「関門ギリギリ。10分前、到着が10分前でした」
この時点で最年長の62歳、福井県の竹内雅昭が関門に間に合わないと判断し、リタイアした。ゼッケンの番号は年齢順につけられている。竹内のゼッケンは30番。大会から姿を消した。
大会4日目の8月10日。稲崎の自宅では、妻の美也子が、選手の携帯しているGPSの位置を確認していた。
稲崎の妻・美也子:
「ありました。ありましたね。(稲崎のゼッケン番号)28番。朝は最後から3番目だったんですけど、いま1人抜かしたみたいですね」
上高地の関門通過が10分前だったことについては?
妻・美也子:
「(関門が)8時だったんですよね。ちょっと前まで見てて、ダメだろうと。友人が代わりに見てくれてギリギリだったんですよ。万歳ですかね」
上高地で稲崎は、美也子にLINEを送っていた。美也子が文面を確かめる。
妻・美也子:
「家のことは大丈夫ですか?ペースが上がらずこのままだと完走が難しくなってくるので、気持ちを整理して立て直します」
トランスジャパンアルプスレースに挑もうとする夫を10年間、美也子は見守り続けてきた。
妻・美也子:
「(ずっと)挑戦、挑戦で。やめたらいいのにと言ったんですけど、もう後には引けない。引き下がれないみたいに言っていた。やらないと気が済まないんだろうな」