小さな命守るため「ここから逃げよう…」

河上千鶴子さんは生後まもなく脳性まひとなり、身体が不自由です。若い頃から障害者の権利を訴える活動を続けていて、20代で夫の和雄さんと出会い1981年に結婚。和雄さんは健常者で、どちらの両親も、2人の結婚には反対でした。

24歳の頃の河上千鶴子さん

夫 和雄さん「うちらとしては『子どもができたら反対できないだろう』というある種の策略があって “できちゃった結婚” にしちゃったんです」

小さな命を授かった千鶴子さんが、ある産婦人科病院を受診したところ、医師は「前の医者は産んでいいと言ったんか」「産まれてもいい子できないのに」と言い、何の説明もなく千鶴子さんに注射を打ちそうになりました。

その時、ちょうど他の患者のお産が始まって、医師は診察室を出ていきました。そこへ外にいた夫の和雄さんが診察室に入ってきて、全身硬直する千鶴子さんをみて、小さな命に迫る “危機” に気づいたのです。

夫 和雄さん「緊張したら体が固まる…脳性まひの場合。体の筋肉がこわばってしまう、ろくに話もできんような状態だったから『逃げよう』って…」

千鶴子さんが、その医師から感じたのは「障害者は子どもを産むべき存在ではない」という「優生思想」でした。