『あす、この家壊しに来る』言うたときに、やっぱり涙出た…
解体始まる地震から3か月。いよいよ、自宅と納屋の解体が始まりました。


桑原さんも解体に立ち会います。
桑原敏夫さん(66):「セカンドバッグないですか?セカンドバッグ」
解体業者:「これ?」
桑原敏夫さん(66):「それそれそれ。あーありました、現金」


ずっと探していたものたちが次々とがれきから出てきました。
記者:「よくスキーされていたんですか?」
桑原敏夫さん(66):「そうそう。極楽坂。極楽坂ですね。日曜日ごとに行っていました。ずぶ濡れになっとるかと思ったんですけどね。あーうれしいですね」

母、桂子さんは…。

母 桂子さん(89):「『あす、この家壊しにくる』言うたときに、やっぱり涙出た…ひとりでに涙出て…」

結婚を機に19歳でこの地区に移り住み、70年の月日を過ごしてきました。自宅は、大工だった亡き夫・惣一さんが建てました。


母 桂子さん(89):「ここのあたりの人みんな他へ行くさかいに寂しくなるけれども。それでもやっぱり…」
桑原さんは「いつかまた姿地区に」と話す母の思いを汲んで、ある希望を残しました。
桑原敏夫さん(66):「基礎工事部分はまだ崩れていませんので、まだ大丈夫だと思っています」
基礎を解体せずに残して、その上に再び自宅を構えられるようにします。

ちょうどこの頃、壊れていた姿地区の寺の鐘も作り直されました。
長福寺 北鹿渡文照住職:「以前よりももっときれいに直していただきました。そこで皆さんには喜びの鐘を1つずつ撞いていただきたい」


桑原さんも復興を願う音を響かせます。


しかし、この数日後…。
残されているはずの基礎はなく更地にー。


記者:「以前、基礎のお話されてたじゃないですか」
桑原敏夫さん(66):「残念ながら、相当ひどい状態なものですから、全部解体ということでお願いしました」

地震の影響で、基礎には大きなひびが入っていて壊さざるを得ませんでした。
桑原敏夫さん(66):「他で家建てて住むという訳にもいかないものですから。ここでなんとか生きていきたいなとは思っております」
母 桂子さん(89):「今からどうして…どこに住めばいいか」


希望を感じさせる春の訪れ。しかし、桑原さんたちが次の季節に踏み出すのは簡単ではありません。

