当時の写真から戦前、戦中の姿で今も残る建物の貴重さが分かる

旧志ら梅酒造の石蔵が建つ国分町、二日町周辺の被害の大きさを物語る写真が戦災復興記念館に残っています。

戦災復興記念館 職員:
「こちらですね。詳しくは書いてないんですが、おそらく仙台空襲の直後。まだがれきが残っているので、終戦間近かその前後かと思われます」

仙台・空襲研究会のメンバーで一級建築士の斎藤広通さんは、当時は木造建築が多くほとんどが焼失してしまったため、戦前、戦中の姿で今も残る建物は貴重だと語ります。

斎藤広通さん:
「これが奥州街道です。もう少し行けば、今の県民会館、道路のこちら側が、今の仙台市役所です。このあたりの建物で空襲で残ったのは土造、鉄筋コンクリート造、石造なんですけども、ここにあるのが、石造の秋保石でできた旧志ら梅酒造の石蔵です。この石蔵が残っているというのは、空襲のことを伝えていると思う」

旧志ら梅酒造の石蔵を受け継いだ吉岡さんは、平和は簡単に手に入るものではなく、市民ひとりひとりが意識を持って、行動することが重要だと考えています。

吉岡秀祐さん:
「身近なところで、このような悲惨なことが起こっていたということは、語り継いでいって、空襲のときに何が起こったということを若い人たちに語りつぐことは非常に必要だと思う」

仙台空襲から80年。今ではオフィスビルや飲食店が立ち並ぶ街の一角に静かに残る石蔵は、戦争の記憶を未来につなぐ貴重な証言者です。