造り酒屋の敷地には“防空壕”も…
また、敷地内には、地域の人たちも逃げ込めるような防空壕があったといいます。

吉岡秀祐さん:
「母屋がこちら。お店もそちら。酒造工場がそこだったので、おそらくここだったと思うんですよね。ここあたりにあったと思うんですよ」
仙台空襲の夜、吉岡さんの父と伯父が壕の中に入ろうとしたところ、すでに多くの人で満室。青葉神社に逃げることになりました。そして・・・

吉岡秀祐さん:
「空襲がやんで青葉神社から戻ってきたときには、家は全焼して灰になっていた。防空壕をのぞいたところ、防空壕に逃げた人たちは全員焼死していたということです。そのことに関して、私は胸が痛む。うちの家の防空壕だけではなかったかもしれないが、いずれにせよ、その防空壕はある意味役に立たなかったということ」
